本来は、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこの頃に、厳しい道、すなわち、労働条件を引き上げながら儲かるビジネスへの転換を目指す道を選択していたら、平成が終わる今頃までには、様々なイノベーションと改革のための投資によって、少子化を乗り越える経済構造に到達し、新たな産業、企業の発展の道筋が見えていたかもしれない。今とは全く異なる絵になっていたのではないか。

 しかし、日本は、それを怠り、昭和の遺産を食い潰しながら、楽な方へ楽な方へと舵を切っていったのだ。もちろん、その舵取り役は、政治においては自民党、経済においては経団連と経産省である。

 平成の終わりになって、追い詰められた日本は、過去の過ちにようやく気付き始めた。「始めた」と言ったのは、まだ完全ではないからだ。働き方改革の名の下に19年以降残業規制が厳しくなる。同一労働同一賃金は来年から実施だ。これらの政策によって、企業の労働コストは上がる。それでも儲かるビジネスに転換できなければ生き残ることはできない。

 遅きに失した感はあるが、今からでも厳しい道を選び直して、何とか茨の道を乗り越えようではないかというのが、日本のリーダーが国民に呼びかけるべき言葉なのだ。しかしながら、そんなことは不可能なことのような気がする。なぜなら、一国の企業全体が、新たなビジネスモデルへの転換を遂げるには、20年はかかるというのが欧州諸国の経験だ。さらに厳しく言えば、その間にかなりの企業は淘汰されてしまうかもしれない。しかし、今の日本には、20年などという猶予期間はないと誰しもわかっている。既に30年を無為に失っている間に、財政は借金漬け、社会保障制度の基盤は崩壊寸前になってしまった。つまり、欧州諸国がかけた時間よりももっとはるかに短い時間でこの大転換を成し遂げろということになる。

 経営革命と聞くと、経団連企業がやることだと思っている人も多いようだが、実際には、中小企業がその最前線に追い立てられる。働き方改革や最低賃金のさらなる引き上げは中小企業にこそ最も深刻な負担を課す。

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やるべきことはわかっているが、実行できない日本