無印良品はなぜ大成功し、今壁に直面しているのか? ビジョンと業績の不思議な関係 (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

無印良品はなぜ大成功し、今壁に直面しているのか? ビジョンと業績の不思議な関係

このエントリーをはてなブックマークに追加
1983年7月、開店した翌月に撮影された、東京・青山に開店した無印良品の第一号店の店内 (c)朝日新聞社

1983年7月、開店した翌月に撮影された、東京・青山に開店した無印良品の第一号店の店内 (c)朝日新聞社

江上隆夫(えがみ・たかお)/株式会社ディープビジョン研究所 代表取締役/ブランド戦略コンサルタント。長崎県五島列島出身。大学卒業後いくつかの広告制作会社を経て、アサツーディ・ケイにてコピーライター及びクリエイティブ・ディレクターとして活躍。朝日広告賞、日経広告賞グランプリ、日経金融広告賞最高賞、東京コピーライターズクラブ新人賞ほか数多くの受賞で評価を高め、2005年に独立。「本質からブランドを組み立てる」というアプローチで、全国の中小企業から大企業までのブランドづくりを行っている

江上隆夫(えがみ・たかお)/株式会社ディープビジョン研究所 代表取締役/ブランド戦略コンサルタント。長崎県五島列島出身。大学卒業後いくつかの広告制作会社を経て、アサツーディ・ケイにてコピーライター及びクリエイティブ・ディレクターとして活躍。朝日広告賞、日経広告賞グランプリ、日経金融広告賞最高賞、東京コピーライターズクラブ新人賞ほか数多くの受賞で評価を高め、2005年に独立。「本質からブランドを組み立てる」というアプローチで、全国の中小企業から大企業までのブランドづくりを行っている

 その相反する価値観に、堤氏のさまざまな“顔”が見え隠れしているのではと想像します。それは、冷徹な経営者の奥にある、「辻井喬(たかし)」という詩人・作家としての顔。そして、裕福な実業家の内縁の妻の子に生まれたという生い立ち。さらには東大生時代には共産党員であったということ。このような人生とナイーブな人格が、堤氏の価値観に影響しているのではないかと思うのです。

 いわば時代の流れを読み切りながら、嫌だろうが利益を追求し、企業を発展させていく、ある意味、苛烈な経営者と、それを批評的、批判的に斜め上から眺めている詩人であり作家が、ひとつの人格の中に存在したと言えます。

 つまり、こうしたことを考えに入れると、ブランドではないけれど良い品という意味合いを持つ無印良品は、西武の百貨店ビジネス、あるいはブランド・ビジネスへの批評であり、対立項として生まれたことが見て取れます。誕生に、かなり理念的背景を持っているのです。

■無印良品にカタチを与えたグラッフィック・デザイナー田中一光

 当時30代そこそこだった糸井氏を西武に推薦したのが、グラフィック・デザイナーの故・田中一光氏です。田中氏は海外の美術館にも作品が収蔵され、また歴史的にも日本を代表するグラフィック・デザイナーとして、いまでも名前があがる存在であり、当時から広告などの分野では非常に著名でした。そして、才能の発掘には長けた方で、彼のもとからは多くの有望なデザイナーが巣立っています。

 堤清二氏のアンチ・ブランドの考え方にカタチを与えたのが田中一光氏です。英語のノーブランドからネーミング「無印良品」のきっかけをつくったのも彼なら、現・青森県十和田市現代美術館の館長を務める小池一子氏(当時、業界トップクラスの女性コピーライターでした)と組んで、無印良品の広告をつくったのも彼でした。

 そして、日用品と食品40品目でスタートした無印良品は「わけあって、安い。」というキャッチフレーズでデビューします。西友のプライベート・ブランドだけあって、当時のデビュー広告には西友のロゴが添えられています。


トップにもどる dot.オリジナル記事一覧

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい