その相反する価値観に、堤氏のさまざまな“顔”が見え隠れしているのではと想像します。それは、冷徹な経営者の奥にある、「辻井喬(たかし)」という詩人・作家としての顔。そして、裕福な実業家の内縁の妻の子に生まれたという生い立ち。さらには東大生時代には共産党員であったということ。このような人生とナイーブな人格が、堤氏の価値観に影響しているのではないかと思うのです。

 いわば時代の流れを読み切りながら、嫌だろうが利益を追求し、企業を発展させていく、ある意味、苛烈な経営者と、それを批評的、批判的に斜め上から眺めている詩人であり作家が、ひとつの人格の中に存在したと言えます。

 つまり、こうしたことを考えに入れると、ブランドではないけれど良い品という意味合いを持つ無印良品は、西武の百貨店ビジネス、あるいはブランド・ビジネスへの批評であり、対立項として生まれたことが見て取れます。誕生に、かなり理念的背景を持っているのです。

■無印良品にカタチを与えたグラッフィック・デザイナー田中一光

 当時30代そこそこだった糸井氏を西武に推薦したのが、グラフィック・デザイナーの故・田中一光氏です。田中氏は海外の美術館にも作品が収蔵され、また歴史的にも日本を代表するグラフィック・デザイナーとして、いまでも名前があがる存在であり、当時から広告などの分野では非常に著名でした。そして、才能の発掘には長けた方で、彼のもとからは多くの有望なデザイナーが巣立っています。

 堤清二氏のアンチ・ブランドの考え方にカタチを与えたのが田中一光氏です。英語のノーブランドからネーミング「無印良品」のきっかけをつくったのも彼なら、現・青森県十和田市現代美術館の館長を務める小池一子氏(当時、業界トップクラスの女性コピーライターでした)と組んで、無印良品の広告をつくったのも彼でした。

 そして、日用品と食品40品目でスタートした無印良品は「わけあって、安い。」というキャッチフレーズでデビューします。西友のプライベート・ブランドだけあって、当時のデビュー広告には西友のロゴが添えられています。

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世の中が無印良品のビジョンを消化している?