停滞続く堂安律と南野拓実、歴代エースも通った“険しい道”をどう切り抜ける? (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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停滞続く堂安律と南野拓実、歴代エースも通った“険しい道”をどう切り抜ける?

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元川悦子dot.
サッカー日本代表の堂安律 (c)朝日新聞社

サッカー日本代表の堂安律 (c)朝日新聞社

 伏兵・カタールに苦杯を喫し、まさかの準優勝に終わった2019年アジアカップ(UAE)から2カ月。森保ジャパンの再出発となった22日のコロンビア戦(日産)で、彼らは0-1の苦杯を喫した。

 2018年ロシアワールドカップ16強戦士の香川真司(ベシクタシュ)や昌子源(トゥールーズ)らを満を持して招集したにも関わらず、新体制発足13試合目で初の無得点と攻撃の空回りが目立った。香川にエースナンバー10を譲った中島翔哉(アルドゥハイル)が攻守両面で異彩を放ったのは前向きな材料だったが、アジアカップを主力として戦った南野拓実(ザルツブルク)と堂安律(フローニンゲン)は揃って決め手を欠いた。彼らは2カ月前の大舞台でもゴールという結果を出せずに苦しんだが、悪い流れを断ち切れなかった。

「サコ(大迫勇也=ブレーメン)君にボールが入った時にみんなで前に行くというのを共有しているから、それが今のところはまっているかもしれないですけど……」と堂安が戸惑い気味に語ったように、絶対的1トップ不在というのは確かに大きなマイナス影響があった。それを差し引いても、2人揃って「決めよう決めよう」という気持ちが先に行きすぎて、シュートの精度を欠いてしまっている。そこは認めざるを得ない事実だろう。

 ただ、日本代表の若手アタッカーというのは誰もが順調に飛躍していったわけではない。過去の看板選手たちを見ても、中村俊輔(磐田)は98年フランスワールドカップ直前に初招集されながら、A代表デビュー自体が2000年2月のシンガポール戦(マカオ)までずれ込んだ。そのフィリップ・トルシエ監督時代にもご存知の通り、中途半端な存在に位置づけられ、2002年日韓ワールドカップも落選。真のエースと言える存在になったのは、ジーコ時代の20代後半だった。

 本田圭佑(メルボルン)にしても、イビチャ・オシム監督時代の2006年に代表初招集されたが、すぐには定着できず、初キャップは岡田武史監督時代の2008年6月のバーレーン戦(埼玉)までズレ込んでいる。その後も岡田監督からは呼んだり呼ばれなかったりが続き、完全にレギュラーを勝ち取ったのは2010年南アフリカワールドカップ直前。その時すでに本田は24~25歳になっていた。



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