東筑紫学園とは対照的に、創部から103年目で甲子園初勝利を挙げたのが、08年の21世紀枠校・成章。

 明治時代の1906年創部の野球部は、72年にセンバツ初出場も、初戦敗退。その後、2006、07年と2年連続で21世紀枠に推薦されながら、補欠2位、補欠1位と惜しいところでセンバツ出場を逃してきたが、3度目の正直で36年ぶり2度目の出場をはたした。

 開会式直後の第1試合となった1回戦の駒大岩見沢戦、エース・小川泰弘(現ヤクルト)は持ち味の制球力を武器に内角を効果的に攻める。

 4回に倉内勝洋の二塁打で1点を先制するが、その裏、2死からエラー絡みで同点にされ、5回にも挟殺プレーの際の悪送球で1対2と勝ち越された。

 だが、小川は気持ちを切らすことなく、打たせて取る粘りの投球で、6回以降を散発の2安打無失点と踏ん張る。

 そして8回、「(足を引っ張られても)小川が冷静に投げている。このままでいいのか」(丸山亮太主将)とナインが一念発起。2安打と四球で1死満塁とし、倉内の三遊間安打で同点。丸山の遊ゴロが併殺崩れになる間に3対2と逆転に成功した。

 9回裏、小川が最後の打者・川村直樹を二ゴロに打ち取った瞬間、創部103年目の甲子園初勝利が実現した。

 我慢の投球で歴史的1勝に貢献した小川は「地元のチームを強くしたいと思って成章に入学した。OBの方から1勝はしてほしいと言われた」と約束をはたせてうれしそうだった。

 ワースト連敗記録をつくりながら、“10度目の正直”で悲願の初勝利を挙げたのが、13年の盛岡大付。

 95年夏に甲子園初出場の同校は、12年夏まで春夏併せて9回出場しているが、いずれも初戦敗退。2度目のセンバツ出場の10年も、中京大中京に4対5と惜敗し、通算8連敗。47年春から58年夏にかけての松商学園の連敗記録とワーストタイで並んだ。

 さらに12年夏も、岩手県大会決勝で花巻東の大谷翔平(現エンゼルス)を打ち崩して甲子園切符を手にしたにもかかわらず、初戦で立正大淞南に延長12回の末、4対5で敗れ、ついにワースト新の9連敗となった。

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「出るのがプレッシャーだった時期もあった」