小泉内閣の掲げる道路四公団の民営化や郵便事業の公社化・民間参入などは、仕組みの改革を目指すものだ。

 平成になってからの14年間で11人の総理大臣が誕生したが、そのすべてが「改革」を叫んだ。平成の日本では改革が常習化している。というのは、本当の改革が行われていない証拠である。

 こうした情勢が、これからも――平成30年まで――続く可能性は高い。真の改革に必要なのは考え方の転換、つまり倫理と美意識の変更であることが、まだ知れ渡っていないからだ。

■改革者・織田信長に習うこと

 さて、これからの十数年、内には人口の高齢化、外には中国などアジアの工業化に直面しながら、日本が「遅進国」であり続けるなら、そのあとにはどんな改革があり得るだろうか。それが本編後半の主題である。

 いくつものシナリオが考えられる。私もいくつものシミュレーションを試みた。その中で最もありそうなのは織田信長型、つまり体制内の異端者が、周囲の分裂と抗争を利用して実力を蓄え、温和な仕組みの変革者から次第に過激な思想の改革者へと変貌する経路だ。

 この過程では、当初の改革賛同者も次々と脱落する。織田信長の史実がそうであったように。

 特に、この国の社会の実権を握る政府官僚と伝統ある大企業の中枢管理者は、政権政界の変化などは「上辺(うわべ)の細波(さざなみ)」とたかをくくっている。だから、政治(選挙)にはそれほど深入りしない。改革者は、その間隙を突き抜け、形式と思われていた政治を現実に変える道を辿るだろう。織田信長が、誰もが形式と信じていた足利幕府を手中にして、その号令を現実のものにしたのと同じ手法だ。

 これは、外国の力によらない非暴力改革だが、改革者にとっても、それを受ける側にとっても、緊張を胎んだ過程になるに違いない。この物語のあとが、どのように続くか、読者自身の創作に委ねたい。

 様々に空想を拡げて頂けることだろう。

平成14年5月 堺屋太一