「完璧なプレーができない時も、勝つ方法を見つけられた。それが、ここ最近の私が最も成長した点」だと、大坂は勝利の価値を定義した。

 そして迎えた、4回戦――。ネットの向こうに立つベリンダ・ベンチッチは、大坂と同じ1997年生まれ。元世界1位のマルチナ・ヒンギス母子の薫陶を受け、18歳でツアー優勝やトップ10入りも果たした、早熟の天才だ。

 両者の対戦は、ツアーレベルの公式戦では今回が初。だが、下部レベルの大会では、大坂がまだ15歳の日にラケットを交わしていた。当時、すでにテニス界で名の知れていたベンチッチに対し、大坂は「全てのショットを全力で叩く」ことで勝利を得る。

「彼女はショックを受けているように見えたわ。あの頃から彼女はすでにジュニア界のスターで、一方の私はジュニアの大会にほとんど出ていない無名の存在だったから」

 当時を振り返る大坂の頬に、懐かしそうな笑みが浮かんだ。

 それから6年の月日が流れ、両者の立場は逆転する。かつての天才少女は、度重なるケガのため長短期の戦線離脱を繰り返し、その間に“無名の存在”はグランドスラムを2度制して1位に座した。

 だが、その立場の変化とは、大坂のプレーは公のものとなり、挑戦者の解析の目にさらされることでもある。今年に入って往時の強さを取り戻しつつあるベンチッチは、大坂を倒すプランを手にし、対戦のコートに立っていた。

 試合開始早々から、ベンチッチが描いていた策はコート上に描かれる。ボールの跳ね際を捕らえ、なおかつコースを打ち分ける柔軟な手首と高い技術は、彼女が天才と呼ばれた所以。さらに大坂を戸惑わせたのは「打球がすごくフラット」だったこと。その独特の球筋と、蜘蛛の巣を張り巡らせるような戦略性が、大坂のリズムを狂わせる。

「序盤は無理に攻めすぎた。終盤に向けて球種を増やすよう努めたが、それも彼女に読まれていた」

 試合後の大坂は、そう敗因を分析した。

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世界1位の“壁”を乗り越えるために──