サンドウィッチマンの伊達みきお(左)と富澤たけし (c)朝日新聞社
サンドウィッチマンの伊達みきお(左)と富澤たけし (c)朝日新聞社

 甚大な被害をもたらした東日本大震災から8年の月日が流れた。

 震災発生当日の3月11日には、毎年テレビをはじめ数多くのメディアが震災関連の報道を行うが、今年は平成最後の3・11ということもあり、例年以上に各報道機関とも力を入れていた印象だ。

 被災地ではいまだに仮設住宅での避難生活を強いられ、今なお日常的に震災の被害に遭い続けている被災者の方々が数多くいる。

 そうした方々のことを思うと、過去の出来事のように震災当時を振り返ることに多少躊躇する部分もあるが、勝手ながら当時の芸能界を取り巻く状況、それに対する率直な思いを書かせて頂きたいと思う。

 震災発生時は都内で行われた芸能イベントの取材を終えて東京・六本木にいた。

 喫茶店で原稿を書き終えてちょうど大通りに出たところで震災が発生し、あまりの揺れの大きさに驚き、動くこともできず、とりあえず頭を押さえて道にしゃがみこんだ記憶がある。

 六本木の街も大騒ぎとなっていたが、一方で自分の視界に入る限りでは大怪我を負っている人もいなかったし、ビルがあからさまに倒壊するような事態も起きていなかったのでパニックになるようなことはなかった。

 余震の恐怖はあったし、携帯電話の回線が繋がらず、連絡が取れない家族、友人、知人の安否は気にはなったものの、周囲の状況もあり意外と冷静だったと思う。

 その後、各種報道などで東北地方を中心に地震や津波の被害が出ていることを知った。

 テレビやインターネットを通じて当時の津波の映像を初めて目にした時は、あまりに衝撃的なぶんかえって現実感に乏しく、津波がひいた後にスポーツ新聞記者時代に取材で足を運んだことのある宮城・気仙沼などの変わり果てた様子を見て、改めて震災の被害の甚大さを現実として理解することとなった。

 震災発生からしばらくの間、テレビや新聞、雑誌など数多くのメディアが震災関連の報道に注力した。

 当然のことではあるが、芸能マスコミの端くれである自分は震災前と同じように芸能関連の取材を続けることになった。

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三杉武

三杉武

早稲田大学を卒業後、スポーツ紙の記者を経てフリーに転身し、記者時代に培った独自のネットワークを活かして芸能評論家として活動している。週刊誌やスポーツ紙、ニュースサイト等で芸能ニュースや芸能事象の解説を行っているほか、スクープも手掛ける。「AKB48選抜総選挙」では“論客(=公式評論家)”の一人とて約7年間にわたり総選挙の予想および解説を担当。日本の芸能文化全般を研究する「JAPAN芸能カルチャー研究所」の代表も務める。

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