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鴻上尚史が指摘する「不寛容社会」のメカニズム 原因にスマホ?

連載「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」

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 大きくなっていく自意識は決して満足することはないのです。

 もちろん、そんな状態は嫌なので、みんな、自分を守るために、「私は本当はこんなレベルじゃない」と思うようになりました。

 私は本当はこんなレベルじゃない。本当はもっとすごいんだ。私は世間に対して、ちゃんとモノが言える人間なんだ。

 自分を引き上げるためには、そう思って、みんな発言します。ツイッターやフェイスブック、ブログで、いろいろと発信します。

 けれど、上には上がいるので、そういう発言は否定されます。

 映画を得意気に評論しても、音楽を通ぶって語っても、文学にウンチクを傾けても、上には上がいて、潰されます。

 でも、唯一、潰されない言葉があります。

 それは「正義の言葉」です。

 正義を語っている限り、突っ込まれる可能性はないのです。否定されるかもしれないと怯える必要はないのです。

「ツイッターで未成年の飲酒を見つけた」「道路いっぱいに広がっている自転車がじゃま」「無許可で路上ライブやっている奴らは法律違反で許せない」「信号無視してる奴がいる」

 これらの「正義の言葉」は、上には上がいるインターネットの世界でも、否定されません。

 だから、「自分はこんなもんじゃない」と思い、けれど、何かを言って否定されたくない人は、「正義の言葉」を意識的にも無意識的にも語るのです。

 さて、じゅんさん。

 じゅんさんが「自分が社会に影響を与えられるだとか、社会に限りなく属さなくても生活していけるだとかそのような才能がないために、半ばコンプレックスのようなものが原因なのかもしれません」と書かれているのは、このメカニズムだと僕は思っているのです。

「自分は何者かになりたい」という意識を強く持ち、けれど、何者でもない現在、何か社会に対して主張したい、自分の存在を明確に打ち出したいと思った結果、「正義に反する人達」に対する、誰からも否定されない怒りやイライラが増していく、ということです。


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