フランスで戦っている川島(左)と昌子(右)(写真:getty Images)
フランスで戦っている川島(左)と昌子(右)(写真:getty Images)

 2018年ロシアワールドカップから8カ月。ベスト16入りした日本代表守備陣のうち、川島永嗣(ストラスブール)、酒井宏樹(マルセイユ)、昌子源(トゥールーズ)の3人がプレーするのがフランス・リーグアンだ。川島は今季公式戦出場ゼロと苦しんでいるものの、昨季まで2シーズンを過ごしたメスでは第3GKから絶対的守護神へと上り詰めた実績があるし、酒井と昌子は目下、チームの中心的な役割を担っている。

 2010年南アフリカワールドカップ16強の立役者だった松井大輔が初めて同国に赴いた2000年代半ばの頃は、「リーグアンのDFは屈強なフィジカルを誇るアフリカ系選手が中心。小柄でセンの細い日本人にはとてもその役割は務まらない」と言われていた。

 2000年代にフランスに赴いた日本人選手を見ても、ルマンやサンテティエンヌ、グルノーブル、ディジョンと4つのクラブを渡り歩いて一定の評価を受けた松井を筆頭に、当時日本企業が経営参画していたグルノーブルでプレーした大黒将志、伊藤翔、梅崎司もそうだが、あくまでアタッカー系の人材がメインだった。

 例外的に、中田浩二が2002年日韓ワールドカップの日本代表監督だったフィリップ・トルシエ監督との縁でマルセイユへ赴き、同世代の稲本潤一もレンヌでプレーしたことがある。けれども、どちらも大活躍することは叶わなかった。とりわけ中田の方は、トルシエが短期間で解任された後は構想外に近い扱いを受けた。トップチームの練習に参加させてもらえず、希望しないクラブへの移籍を勧告されることもあったようだ。この時代のフランスでは「アジアのDFは使えない」といった蔑視に近い目線も根強かったのではないだろうか。

 あれから10年余りが経過し、リーグアンでアジア枠が設けられるという話が浮上。最大の目的は中国マネーの獲得だと見られるが、この先、本格的に運用が始まれば、日本人にとってもプラスなのは間違いない。2000年代に比べてフランスサッカー界全体がアジアに対する関心を高めているのは事実。日本人選手を取り巻く環境は大きく変わっているのだ。

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川島が語る日本人がフランスで通用するようになった理由