79年に新生球団・西武に移籍した野村は、現役最後の所属球団で、「まったく意図しなかった」ハプニング的な珍記録を達成している。

 同年8月16日の阪急戦(平和台)、4対1とリードした西武は6回にも先頭の鈴木葉留彦が二塁内野安打で出塁し、無死一塁で野村に打順が回ってきた。ここは当然送りバントのケースだ。

 野村の送りバントは、南海4番打者時代の64年3月17日の東映戦(神宮)以来、実に15年ぶりだった。

 前回は開幕から13打数1安打と絶不調だったことから、1対1で迎えた延長11回無死一、二塁の勝ち越し機に、やむを得ずバントをすることになったが、うまく三塁前に転がし、犠打でチームの勝利に貢献。「野村がバントをやったのを見たことあるかい」と話題になった。

 以来、一度もバントをする機会がなかったのに、そんな野村が回りまわってプロ26年目、44歳にして野球人生2度目のバントをすることになろうとは……。

 ところが、長い間バントをしなかったことで、野球の神様も混乱したのか、三塁前に転がした打球は、なんと内野安打になってしまった。

 この結果、野村は翌80年に現役引退するまで1952試合連続犠打ゼロというとてつもない記録を樹立することになった。

 野村の引退試合はいつ行われたか?

 即座に答えられる人は、かなりの野球通と言えるだろう。

 正解は、西武時代の80年11月16日。現役引退会見の翌日、西武球場で開催された「ファンの集い」の紅白戦である。

 この日、4万人のファンが見守るなか、紅組の4番打者として登場した野村は2回、山崎裕之のストレートを左中間越えの長打コース。球界最年長の45歳ながら、ドタドタと懸命に走り、やっとの思いで三塁に到達すると、サードを守っていた東尾修が「ついでに本塁まで行け」とばかりに尻を押す。ショート・松沼雅之も阿吽の呼吸を見せ、中継のボールをすぐにバックホームせず、わざと手間取って“猶予”を与えている間に、野村は息を切らしながらもバンザイポーズでジャンプしながらホームイン。この瞬間、「現役時代は1本もない」というまさかのランニングホームランが実現した。

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現役の最後は因縁深いフィナーレ