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近代音楽の開拓者バルトークが患った白血病 現代の医療技術で「治る病気」に

連載「歴史上の人物を診る」

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早川智dot.
ベラ・バルトークの肖像画(写真:getty images)

ベラ・バルトークの肖像画(写真:getty images)

『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。今回はハンガリーの作曲家、ベラ・バルトークを「診断」する。

*  *  *
 後世の音楽学者は我々が体験している現代音楽にどのような評価を下すだろうか。バッハ以来、連綿と続く西洋音楽の調性の束縛からの開放(あるいは和声の崩壊)にアフリカ起源のジャズや東洋音楽など世界中の民族音楽の要素が強く入り込んでいる。こういった20世紀音楽としての特質を十二分に持ちながら、なおかつ曲自体を楽しめる作曲家の一人が、ハンガリーのバルトークである。晩年、ナチス・ドイツの迫害を避けて米国に移住しながら惜しくも慢性骨髄性白血病で亡くなった。だが、現代の医療技術であれば「十分に助けられる疾患」であることを、ここでお伝えしたい。

 ベラ・バルトークは、1881年3月25日ハンガリー東部(現ルーマニア)のナジセントミクローシュに生まれた。母から初等音楽教育を受けたのちブラチスラバのギムナジウムを経て、オーストリア=ハンガリー帝国の首都であったウィーンの音楽学校に入学するも教育方針になじめず、ブダペストでフランツ・リストの高弟トマン・イシュトヴァンにピアノと作曲を学ぶ。

■ナチスの台頭でニューヨークに亡命

 24歳のとき、1905年度パリ音楽コンクールピアノ部門で第二位入賞する(ちなみに優勝はかの名ピアニスト、バックハウスだった)。その後、優勝を逸したのが不満だったか、作曲に転向し、ハンガリーの田舎を回って集めた民族音楽をコダーイとともに現代譜に編曲して出版する。29歳では恩師トマンのあとを継いでブダペスト音楽院の教授になり、中欧、東欧の民族音楽の旋律と新しい12音音楽の技法を駆使した質の高い作品を残した。

 古典的な技法による弦楽四重奏曲やバッハ以降の最高傑作とされる無伴奏バイオリンソナタは非常に高度な技術を要求している。しかし彼が活発な作曲活動を行った1930年代にはヒトラー率いるナチスが台頭。圧倒的な軍事力を背景にオーストリアを併合するに至る。自由な作曲活動が困難になったことを悟ったバルトークは、妻デイッタとともに1940年米国ニューヨークに亡命した。


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