昨季も21試合登板。勝ち星こそなかったが、4ホールドを挙げ、完了6。つまり、勝ち試合の中継ぎか、負け試合の展開で勝ちパターンの投手を使えない時、寺原がラストの数イニングをまとめるというわけだ。まさに“便利屋稼業”を引き受けていたそのベテラン右腕が「戦力外通告」を受けたのは、日本シリーズでチームが2年連続日本一に輝いたその翌日のこと。39歳の五十嵐亮太(今季からヤクルト)、36歳の摂津正(現役引退)ら、ともにソフトバンクの一時代を支えてきたベテランたちも寺原と同様に“クビ”を宣告されていた。

「悩みましたね」

 その時、まず寺原の心を占めたのは、大事な家族の存在だったという。博多の人気球団の主力選手だけに、学校に通っている2人の子供は、父親のパフォーマンス、チームの勝敗で友人たちにも声を掛けられる。成績がよければ称賛と激励だが、反対の場合には、自分の父が“批判の的”にもなる。

「だから、野球を辞めた方が家族とかも精神的に楽なのかなと思ったんです」

 35歳という年齢を迎えた“今”だからこその苦悩でもある。ただ、自分のことだけを考えれば「辞めるタイミングですよね。自分で決めたいと思ったんです。ダメでも、それを自分で判断したかったんですよ」。「辞めろ」と言われるよりも「辞めます」と言いたい。自分で自分に納得をつける。しかし、まだそこまでやり切っていない、燃え尽きていないという思いが残っていた。

「だから、すぐに気持ちは切り替わりました。多分去年、ホントにダメだと自分で思っていたら、辞めていました。できるというのが、少しは自分の中にあったので」

 右膝痛も、完全に癒えることはない。それでも、マウンドに立てば、150キロ台のストレートを、普通に、まだ投げることもできる。衰えたという気持ちはない。若手の台頭やチーム事情、あるいは使う側の好みもあるだろう。そういうことも、プロ生活が長くなれば、冷静に見ることができる。こうしたあらゆる要素を踏まえた上でも、自分はまだやれる、やりたいという思いと、それが単なる現役への未練、己の力の過信ではないのかと自問自答していく中で、決意は次第に固まってくる。

 まだ、俺はやれる──。

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追いかける2人の背中