バーナード・ショーの名言で「年を取ったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから年をとるのだ」というのがあるが、この場合は、「年を取ったから人の話を聞かなくなるのではない。人の話を聞かなくなるから年をとるのだ」と言い換えたい。
現在のところ、私の憧れの先輩は作家の佐藤愛子先生。先生はよくお話になるが、同じ話を何度も繰り返したり、つまらない自己顕示や自慢話もなさらない。そして何よりとても私たちの話を聞いてくれ、興味をもって質問すらしてくださる。出されたばかりの『冥界からの電話』でも、「死者からかかってくる電話」に対し「あの世とはなにか」ということに立ち向かう姿はとても90代のものとは思えない好奇心だ。95歳にしてなお、老いているということを感じさせないのはこの、汲めども尽きぬあくなき探究心のせいではないだろうか。こんなふうになれたら!
でも、どう抵抗しても、人は確実に老いる生きものだ。橋田壽賀子先生ではないが、死の時期が自己決定できればどんなにいいだろう。でも、それがままならないのが終活の歯がゆさでもある。ボケることもなく、老化現象の大きな卵を懐に抱えて元気なままでぽっくりいったトウチャンはある意味、幸せな最期だったのかもしれない……。
8歳年下の彼氏と過ごす時間が多くなるたびに年齢問題を感じざるを得なく、老いについて考えることが増えたようだ。そういえば、あの憎らしい社会学者・古市(憲寿)クンの芥川賞候補作『平成くん、さようなら』の中に「『中瀬さんにバーテンダーの新恋人ができたんだって』とか、そういうどうでもいいことを話す相手がいないことに気付いたんだ」という一節があるのだが(どうでもいい、って決めつけられている)、それを読んだ知人の何人かに「あれは本当なんですか?」と問われた。親しくしている行きつけのバーのマスターからは「どうも周りが俺のことだと思ってるみたいなんすよ。ガチで否定してください!」という泣きが入った。その彼は、平成くんが受賞を逃した翌日「古市さんには悪いですが、受賞で僕の風評被害が広がらなくてマジでホッとしました…」と胸をなでおろしていたが、本は増刷を重ね順調に売れまくっているみたいなので、その誤解はあえてそのままにしておこう。
サマセット・モーム曰く「老年の最大の報酬は精神の自由だ」。意地悪ばあさんの面白さって、そこだよね。肉体の衰えは仕方ないけれど、精神的には自由でありたい!