その時、堤オーナーやオリックス・宮内義彦オーナーが何度となく説明したのは「球団数が減るのではない。むしろ増える」という旨だった。1軍は10球団での1リーグになるが、各球団はその傘下に2軍と3軍を持ち、地方にフランチャイズを置き、全国に振り分ける構想だった。

 それまでの1軍と2軍は12球団・24チームだった。これが1、2、3軍の「3層」となり、全国で30チーム。現行の24よりも増えることになる。しかも、堤は2000年まで社会人野球の「プリンスホテル」を持っていたことから、社会人野球に顔が利いた。そうした堤の影響力もフルに利用して3軍に各地の社会人チームを交えた「日本野球新機構」を設立し、プロとアマが一体となった地域リーグを作り、育成の底辺を拡大していくのはもちろん、球団数の増加によって監督、コーチ、選手の雇用も増えるというわけだ。つまり、オーナー側は「球団数の削減=選手の大量解雇=雇用の減少」という選手側の異論についても、きちんと対案を準備していたのだ。

 選手側を批判するのは本意ではないことを前置きしておくが、ファンの声、当時の選手感情がミックスされた形での「12球団維持」の世論が盛り上がり、さらに巨人・渡辺恒雄オーナー(当時)の発した「たかが選手が」といった発言や、経済、球団経営の理屈だけで突き進もうとした経営者側の“上から目線”にも映る状況にファンや選手が態度を硬化させた。古田敦也選手会長(当時)のリーダーシップ、度重なる労使交渉、初のストライキも敢行した行動力もあり、強者(経営者)に立ち向かう弱者(選手)という構図が判官贔屓に近い後押しも受け、ファンあってのプロ野球という“興行主”のオーナー側も最終的には折れざるを得なくなり、「1リーグ・10球団」の再編は実現せず、それに連なる「3軍制・計30球団構想」も流れてしまった。

 結局、オリックスと近鉄は構想通りに合併したが、ダイエーともう一つのマッチングは不成立。そのダイエーをソフトバンクが買収し、近鉄に代わって楽天が仙台を本拠地として新規参入を果たすことで12球団制は維持された。

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幻の30球団構想が実現していたら...