近鉄・オリックスの合併反対を訴え、デモ行進をするファン=2004年撮影(c)朝日新聞社
近鉄・オリックスの合併反対を訴え、デモ行進をするファン=2004年撮影(c)朝日新聞社

 数分おきに私の携帯電話が鳴った。

「俺たち、どうなるんですか?」

「野球やってて、大丈夫っすかね?」

 誰もが戸惑っていた。とにかく、状況を知りたい。事情を把握したい。オリックスの選手たちが、ドームへ向かうバスの車中から私のもとへ“探りの電話”をしてきたのだ。

 2004年(平成16年)6月13日。

「近鉄球団 オリックスに譲渡交渉 球界再編の可能性」

 日本経済新聞の1面で報じられた大ニュースを合図に、プロ野球界は大騒動の渦へと巻き込まれていった。

 スポーツ紙でオリックス担当だった私はその朝、博多にいた。ダイエー(現ソフトバンク)とのデーゲームを取材するためだ。その当時、経営不振の企業再建で不良債権処理などを行うため、官民一体で設立した「産業再生機構」にダイエーが入るという見通しが流れていた。その機構には、税が投入されることになる。“官による経営再建”が行われる企業がプロ野球ビジネスのような「本業」とは関係のない事業を行っているのは、道義的にも理屈的にもおかしいという見方が経済界のみならず、世間一般にも広がり、ダイエー球団の「身売り」がまことしやかにささやかれていた。

 ダイエー本社は「本業との関連性が高い」とかたくなに球団売却を否定し続けていた。しかし、機構入りした場合のダイエー救済について、プロ野球界ではスキームが水面下で話し合われ、調整されていたという。

 そこで浮上してきたのが、球団数を減らす「球界再編」だった。当時、球団経営は巨人をはじめとしたセの一部球団のみが黒字。巨人戦の放映権という経済的な恩恵もセの球団に限られ、パの球団はほぼ経営が成り立っていないと言われていた。実際、2004年9月に、選手会との労使交渉の場で選手会側の要望を受けて経営者側から出された近鉄、オリックスの2003年度の収支決算は、近鉄が約38億8千万円、オリックスは約37億円の赤字だった。

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