ザッケローニ監督にとっての長谷部も別格の位置づけだった。「長谷部は天性のリーダーだ」とイタリア人指揮官は口癖のように言い、何かあれば相談を持ち掛けていた。通訳を務めていた矢野大輔氏の著書『通訳日記』の中にも、2014年ブラジルワールドカップの最終メンバーを決めるに当たって、指揮官がキャプテンに相談したという記述がある。それは本来あってはならないことなのだが、ザッケローニ監督は“コーチングスタッフの1人”、あるいは“腹心”として長谷部はストレートに胸の内をぶつけられる唯一の選手だった。

 長谷部のことを認めたのはザッケローニ監督に限らなかった。岡田武史を筆頭に、ハビエル・アギーレ、ヴァイッド・ハリルホジッチ、西野朗という5人の指導者が長谷部をキャプテンに据え、チームをコントロールした。

 その一挙手一投足を8年に渡って見続けてきた新キャプテン・吉田はロシアワールドカップのベルギー戦翌日に泣きながら「どうあがいても長谷部誠にはなれないので。自分のスタイルで代表チームを引っ張っていかないといけないですし、ああいう選手の後をやるのは、なかなかやりづらいので、誰かやってくれないかなと思います」と、偉大な先輩に一歩でも二歩でも追いつこうという強い意思をのぞかせた。

 その吉田にとって、アジアカップは忘れられない大会に他ならない。彼が本格的に代表に定着し、最終ラインの軸を担うようになったのが、2011年カタール大会だからだ。初戦・ヨルダン戦で値千金の同点弾を挙げ、存在感を一気にアップさせた長身DFは重要な準々決勝・カタール戦で警告2枚を受けて退場。天国と地獄の両方を味わっている。

「あの時はとりあえず必死だった(苦笑)。長いケガから復帰したばっかりで、自分のパフォーマンスが良い、悪いっていうのがあまり把握できていない状態だった。ただ監督に『可能性がある』と思われたい、アピールしたいと思ってプレーしてました」と彼は当時を述懐する。

 だが、あれから8年が経過し、30歳になった男は2度のワールドカップと2度のアジアカップを経験して、若くフレッシュな新生ジャパンを力強くリードしていく必要がある。森保監督はトルシエのようにエキセントリックではないし、他の外国人監督と違って意思疎通がスムーズだ。そういう意味で吉田にはアドバンテージがある。いかにして監督の意図をピッチ内で実践させるのか。そして危機に瀕した時に冷静さを保つように仕向けて行くのか。それが新たなキャプテンに託された重要命題と言っていい。まずはトルクメニスタン戦からお手並み拝見といきたいものだ。(文・元川悦子)