アジアカップでチームを統率する役目が期待される吉田(写真:getty images)
アジアカップでチームを統率する役目が期待される吉田(写真:getty images)

 森保一監督率いる新生日本代表にとって、最初の大きな試金石となる2019年アジアカップ(UAE)が目前に迫ってきた。彼らは12月26日から千葉県内で行っていた国内合宿を30日に打ち上げ、年明けの2日に現地・アブダビに向けて出発した。今回の事前合宿には年末年始もリーグ戦が入っている吉田麻也(サウサンプトン)と武藤嘉紀(ニューカッスル)の両イングランド勢は不参加となったが、それ以外の21人は精力的にトレーニングを実施。コンディションを上げると同時に、実戦感覚を高め、連携面を確認するなど内容のある調整になったようだ。

 9日にはグループリーグ初戦のトルクメニスタン戦を迎えるが、やはりどの大会も最初の入りは非常に重要。それは半年前の2018年ロシアワールドカップを見ても明らかだ。しかし、アジアカップという大会は準備期間も短く、最高の状態で入れないのが常。頂点に輝いた1992年広島、2011年カタールの両大会もドロー発進を余儀なくされているし、2004年中国大会も中村俊輔のテクニカルなゴールでオマーンに1−0の勝利を収めるのが精一杯。圧勝したのは2000年レバノン大会のサウジアラビア戦(4−1)だけだった。

 序盤から困難に直面した時、チームを確実に統率しなければならないのがキャプテンだ。過去4度の優勝時にはカリスマ性のあるリーダーが必ずと言っていいほど存在した。

 まず1992年だが、日本代表初の外国人指揮官であるオランダ人のハンス・オフト監督と選手のつなぎ役を担ったのは、“闘将”の異名を取る柱谷哲二だった。日産自動車(現横浜FM)、ヴェルディ川崎(現東京V)でセンターバックやボランチを務めた彼は、当時の代表の主力だったラモス瑠偉やカズ(三浦知良)らに真っ向から対峙し、時には怒鳴り合いができるほどの強靭なメンタリティを備えていた。それも日産で井原正巳や長谷川健太、そしてV川崎でラモスやカズとともに戦い、お互いの長所や短所を熟知していたことが大きかったのだろう。

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2000年以降は頭脳派がキャプテンに