「東京ラブストーリー」の鈴木保奈美 (c)朝日新聞社
「東京ラブストーリー」の鈴木保奈美 (c)朝日新聞社
平野ノラのバブリー携帯 (c)朝日新聞社
平野ノラのバブリー携帯 (c)朝日新聞社
平成30年で様々な携帯が発売された(撮影・井上和典)
平成30年で様々な携帯が発売された(撮影・井上和典)
松村太郎(まつむら・たろう)/1980年東京生まれ。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科修士課程修了後、独立。テクノロジーとライフスタイルの執筆活動を行う。キャスタリア取締役、プログラミング必修の通信高校code.ac.jp設立に携わる。
松村太郎(まつむら・たろう)/1980年東京生まれ。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科修士課程修了後、独立。テクノロジーとライフスタイルの執筆活動を行う。キャスタリア取締役、プログラミング必修の通信高校code.ac.jp設立に携わる。

「ケータイに連絡下さい」という言葉がはばかられるほど、もはや過去の言葉になりつつあります。おそらく皆さんが持っているのは「スマホ」でしょうし、連絡手段は「LINE」が当たり前になっているのではないでしょうか。

【トレンディの象徴を再びお茶の間に呼び起こした意外なあの人】

 間もなく終わろうとする元号「平成」は、世界的に見ても、「モバイルの時代だった」とふりかえることができます。通信技術は他の現代の技術と同様、軍事目的で発展しましたが、これが急速に民間に拡がり、無線を用いていつでも・どこでも利用できる連絡手段になりました。

 筆者は高校生の頃に携帯電話を手に入れ、常にケータイが「最も身近な情報手段」となった世代です。そんな筆者が平成を象徴するテクノロジーである「ケータイ」をふりかえり、これからどうなるのか、考えていきたいと思います。まずは、ケータイが生まれた時の話からです。

■ドラマで「トレンディ」の象徴に

 携帯電話の思い出で最も印象に残っているのは、ドラマ「東京ラブストーリー」です。主人公達が辞書みたいに分厚いものを耳に当てて話をしている様子を見て、幼心に不思議に思ったのは筆者だけではなかったでしょう。

 NTTドコモが携帯電話サービスを開始したのは、元号が平成に変わる2年前、1987年でした。

 それまで、船舶や自動車向けの無線を用いた電話サービスが提供されてきましたが、最もコンパクトな製品でも重さ3kgで、肩に担ぐため「ショルダーホン」と呼ばれていました。

 これを一挙に小型化し、500mlペットボトルほどの容積と900gにまで軽量化したのが携帯電話第1号「TZ-802型」でした。連続待ち受け時間6時間、連続通話時間60分という性能からみても、電波をやりとりする通信の技術と、それを支えるバッテリー技術がまだ幼かったことが推測できます。

 平成に入った1989年度に携帯電話の契約数は13万2000台でしたが、250g以下の超小型携帯電話「ムーバ」の登場で急激に伸び、1991年には53万台になりました。こうした契約数増加に対応し、新たなサービスを実現すべく、携帯電話の電波は1993年にアナログからデジタルへと順次変化していきます。これにより、9600bpsと現在の最高速度の1万分の1ではありましたがデータ通信の道が開け、現在のような通話以外のモバイル活用が可能になったのです。


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高校生がピッチに群がった理由