その後も「裏切り者」「代理人にだまされている」「日本人がメジャーで通用するわけがない」という、野茂への“非難”が相次いだ。しかし、ロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂の活躍ぶりは、ここに改めて記すまでもないだろう。「ノモマニア」と呼ばれるまでに米国で旋風を巻き起こし、一転して野茂は日本球界の希望の星になった。

 1964年、南海球団からの野球留学で渡米していた村上雅則がメジャー昇格、サンフランシスコ・ジャイアンツのリリーバーとして2年間プレーをしたが、南海は保有権をたてに、日本へ帰国させた。そのことに、村上が異を唱えられない時代でもあった。

 日本人初のメジャーリーガー、マッシー村上が誕生してから、30年の空白を経て、野茂英雄はまさしく“強行突破”して、再びメジャーへの道を切り開いた。そこから、日本のトッププレーヤーたちが続々、海を渡っている。ポスティングシステム(入札制度)、そして、フリーエージェント(FA)と“合法的”なシステムも整備され、メジャーの世界へ飛び込んでいる。

 あの時、野茂が自らの信念を貫いたからこそ生まれた「メジャー挑戦」。その“いばらの道”が、きちんと整備されたのが「平成」の時代でもあった。野茂英雄という「パイオニア」に続く形で、イチローが、ダルビッシュ有が、田中将大が、そして大谷翔平が、自らの可能性と夢をかけて、メジャーの大舞台へ進んだ。野茂は、日本の野球人たちに「メジャー挑戦」を「選択肢の1つ」にしてくれたのだ。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス中日ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。