ヒット作の売り上げも“桁違い”だ。「ポケットモンスター赤・緑」(1996年)の822万本、「ポケットモンスター金・銀」(1999年)の730万本を筆頭に、「テトリス」の424万本、「スーパーマリオランド」の419万本(いずれも1989年)国内出荷しており、400万本越えのタイトルを4つも輩出した  。

 目下、敵無しだったゲームボーイにライバルが現れたのは、発売から1年半後。1990年10月にセガから「ゲームギア」が、12月にはNECホームから「PCエンジンGT」が発売され、ゲームボーイに立ちはだかった。

 モノクロ液晶しか搭載していなかったゲームボーイに対し、この2機種はカラー液晶を搭載している点で当時画期的と言えた。だが、その分価格も上がり、ゲームボーイの1万2500円に対し、ゲームギアは1万9800円、PCエンジンGTに至っては4万4800円という高騰ぶりだった。

 何より致命的だったのは、その持続時間の短さだ。両機種とも単3形アルカリ電池6本を消費して3時間しか持たず、“携帯”機としての長所が損なわれていた。「子ども達のお小遣いでは電池代が維持できない」という問題に見舞われたのだ。対するゲームボーイは単3形アルカリ電池4本で35時間であった。

 一方で、PCエンジンGTは家庭用PCエンジンのソフトがそのまま外で遊べたり、両機種ともTVチューナーも発売され、外でテレビが観られたりなど、時代を先取りしている部分もあった。だが、携帯ゲーム機の覇権を取るには程遠かった。ゲーム機は、まだ子どものものだったのだ。

 さらなる携帯ゲーム機戦争は、1998年10月21日の「ゲームボーイカラー」(6800円)発売を機に勃発。わずか一週間後の28日にはSNKから「ネオジオポケット」(7800円)が登場し、わずか半年後の99年3月19日にはカラー液晶を搭載した「ネオジオポケットカラー」(8900円)が出されている。同じく99年3月4日にはバンダイから「ワンダースワン」(4800円)が登場し、2000年12月には「ワンダースワンカラー」(6800円)が発売された。

 いずれも1万円を切る価格帯でお手頃感があり、「ワンダースワンカラー」は「ファイナルファンタジー」シリーズの移植作が、「ネオジオポケットカラー」は「餓狼伝説」などの人気格闘ゲームが外で遊べたことから、それぞれ固有のファンを獲得していった。だが、こうした三つ巴の闘いも、2001年3月発売の任天堂「ゲームボーイアドバンス」の出現により終息する。

 なお、携帯ゲーム機戦争は俗に“空中戦”に例えられることが多く、一方の据え置き型は“地上戦”と言われる。それぞれで全く別の闘いが繰り広げられているのだ。地上で各ゲーム機が混迷の闘いを繰り広げるなか、制空権は任天堂が握り続けることになる。

 次回は、ゲーム機が乱立した“地上戦”の行く末を解説する。

(文/河嶌太郎)