立候補都市を決める国内選考は、各競技団体による現地視察の後、手を挙げた都市の招致プランがIOCの定める要件に合致しているかどうか、JOCが選んだ審査メンバーが審査を行う。その結果を参考に、JOCの理事と各競技団体の代表で構成する国内候補地選定委員会が投票で決定する。

 かぎとなるのは両都市が用意した招致プランだが、国際的なスポーツ競技大会の開催経験が豊富だった福岡市のほうが東京都よりも数段、出来がよかった。福岡市役所で過去に全部の競技大会の責任者を務めてきた吉村哲夫は、山崎に呼ばれて「計画書の作成を」と命じられた。

「東京が負けたと思うようなものを作るのが目標だった」

 吉村は述懐した。

 その時代、IOCでは「オリンピックの巨大化」に批判と懸念が強かった。巨大都市以外の開催は不可能になるとIOCは危機感を募らせていた。吉村が当時の場面を思い返す。

「IOCの内部で、コンパクト化の意見が非常に強かったので、そのコンセプトなら、福岡もやれるのではと思った。同規模の都市のバルセロナ(スペイン)が92年にやっていたから、福岡でできないはずはない。全体の8割の選手が15分以内に会場に到着できるというのがセールスポイントでした。仮設でもいいから競技場は全部、町の中心地に造るというプランで、仮設の大幅活用という発想で計画を立てた」

 市長だった山崎が回想する。

「投票権を持つ選定委員は全員が東京在住です。全部ではないが、相当回った。『東京で決まってるんだ。40対15以上の大差で東京が勝つ』と言う人が多かった」

 2006年8月30日、JOCの国内立候補都市選定委員会が開かれた。55人の委員が投票する。結果は「東京都33、福岡市22」であった。善戦だったが、下馬評どおり福岡は敗れ、東京の立候補が決まった。