大阪五輪招致へ委員会発足 強敵は北京、そしてIOC疑惑 (c)朝日新聞社
大阪五輪招致へ委員会発足 強敵は北京、そしてIOC疑惑 (c)朝日新聞社

大阪五輪招致委の披露パーティーの様子 (c)朝日新聞社
大阪五輪招致委の披露パーティーの様子 (c)朝日新聞社

 2020年7月に開催される東京オリンピック。1964年の東京大会以来、日本で二度目となる夏季オリンピックの開催までには、56年の時間を要した。実は、その間にも、日本の各都市が何度か開催に名乗りを上げていた。招致の立役者たちが、オリンピックを通して日本をどう変革しようとしていたのかを描いたノンフィクション『東京は燃えたか』でも紹介した、オリンピック招致の舞台裏とは? 88年大会招致で名古屋が名乗りを上げ、ソウルに敗退してから10数年。今度は大阪が名乗りを上げたが……。

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 名古屋の失敗から10年余りが過ぎた92年1月、今度は大阪が名乗り出た。提唱したのは、91年4月の大阪市議選に当選した元コメディアンの船場太郎である。

「僕は芸能界にいたから、大阪で何かにぎやかで明るい話、ないもんかなあと思って、オリンピックはどないかなあ、と議員の先輩連中に相談したら、ええやんかという話になった。バブルがはじけて、大阪は元気がなかった。そのころ、みんな、『国際都市・大阪』と言っていた。それなら、オリンピックを呼ぶのが一番やろ、と。日本全体にどんな効果があるんか、そこまでは考えなかった。花が咲いて、相乗効果で、沈滞した大阪を変える動きにつながるんではという思いがあった」

 JOCやスポーツ団体などからの働きかけや連携はなかったのか、と尋ねると、船場は「そんなもん、全然なかった」と答えた。

 船場はいきなり大阪市会(市議会)で提案した。だが、大阪市側の反応は今一つで、通り一ぺんの答弁で片付けられた。

 しかし、船場は大阪市の職員出身の西尾市長に直接話しかけ、同意を取り付ける。オリンピック大阪招致の歯車が動き始めた。

 93年9月のIOCモンテカルロ総会で2000年夏季大会の開催都市がシドニー(オーストラリア)に決まった。過去の例を見ても、次の04年大会はヨーロッパ開催が通り相場だった。大阪は次の次の08年大会招致に照準を合わせた。

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市民の反応はよかった…