「ソウルはぎりぎりでむりやり立候補の申し込みを行い、急に出てきた感じだった。IOCの副会長だった清川正二さんが中心となって、訪問・招待外交を展開し、80人以上のIOC委員を説得した。それで名古屋は大丈夫というムードになった。もともと名古屋の独走で、強力な相手がいない状況だったから、名古屋は燃えなかった」

 柴田は招致活動が「オール・ジャパン」とならなかった点も名古屋敗北の原因の一つだったと指摘した。

「仲谷知事は懸命だったが、県サイドで突っ走り、ローカル色を出しすぎた。JOCが名古屋招致を決定したときに首相だった大平正芳さんは動いたが、みんな首相に頼まれてお義理でという感じで、『国を挙げて』とはならなかった」

 ソウルの逆転勝利は、買収工作も含めたIOC委員に対する猛攻勢が効果を発揮した、という声も強かった。「六四年の東京オリンピックと違って、そういう時代になっていた」と柴田は言い添えた。