――時代のカルチャーを担う人物と関わることは確かに重要ですね。

 ヌードという高尚な切り口でなく、エロって言うと語弊があるだろうけど、もっと通俗的で間口の広い「現代の欲望」を見せてほしい。東京でいえば歌舞伎町や秋葉原、錦糸町などになるのかもしれないけど、そうした街に限らず、今の風景が浮かび上がってくる写真が見たいですね。

――時代を映す場の魅力は写真の絶対的なテーマですね。

 先ほどのカフェの話ですが、自宅近くに1年ほど前にできた喫茶店がよい雰囲気で、そこで飲んだコーヒーが30年ほど前、原宿で飲んでいた味に似ていた。そんな話を店主にすると、「その店で修業していました」っていうんだよ。うまかった感覚が記憶に刻まれる。そこに時代と空間が結びつく。それは、いい写真にも通じるんじゃないですか。「インスタ映え」という表現のフォトジェニックさもあるけど、それとは違う。僕としては目の奥、網膜に焼き付いて離れない「網膜映え」する写真に惹かれます。写真雑誌にはそんな写真をもっと見せてほしいと思いますね。

――アート的な写真表現や技法には注力するが、時代性は薄くなっているかも。時代を表現できる書き手と写真を結びつけるのも重要ですね。ありがとうございました。

◯亀和田 武
1949年生まれ。作家、コラムニスト、編集者、キャスター。「俗悪ヌード誌」や「三流劇画誌」の編集者などを経て、82年に『まだ地上的な天使』で作家デビュー。その後「スーパーワイド」などテレビ番組の司会者に。『どうして僕はきょうも競馬場に』でJRA賞馬事文化賞受賞。

(文/市井康延)

※「アサヒカメラ」2019年1月号から抜粋