オリックス時代のイチロー (c)朝日新聞社
オリックス時代のイチロー (c)朝日新聞社

 野球の打順においてはこれまで様々な考え方があるが、最近再び重要度が増してきた感があるのが「1番打者」である。リードオフマンとも呼ばれる1番打者。リーグ制覇を果たした西武には秋山翔吾、広島には田中広輔という不動の1番打者がおり、その他でも巨人では坂本勇人がほぼ1年を通して、ヤクルトではシーズン途中まで山田哲人、中日ではシーズン途中から平田良介と、チームの顔というべき打者がトップバッターを務めた。では、過去の日本プロ野球界において、最強の1番打者は誰なのだろうか。

 65年から始まった巨人栄光のV9の1番打者といえば、柴田勲だった。赤い手袋をトレードマークに67年にはシーズン70盗塁を記録した。その柴田のスピードを上回ったのが、“世界の盗塁王”福本豊である。70年から不動の1番打者として活躍して13年連続盗塁王に輝き、72年には日本記録となるシーズン106盗塁を記録。打率3割以上を計7度マークするだけでなく、2ケタ本塁打を計11度、歴代1位となる計43本の先頭打者アーチを放つなど、非凡なパンチ力も持ち合わせていた。

 だが、パンチ力では真弓明信が上回る。トレードで79年から阪神に加入すると、長打力のある1番打者としてブレイクし、80年にはシーズン29本塁打をマーク。優勝した85年に故障で1カ月弱の離脱がありながらも、打率.322、34本塁打、84打点の好成績を残した。先頭打者アーチは福本に次ぐ歴代2位の41本。まさに核弾頭という言葉がぴったりの選手だった。

 その真弓と同時代、広島には高橋慶彦がいた。70年代後半から80年代の赤ヘル打線の1番打者として活躍。パワーとスピードを掛け合わせた攻撃的スイッチヒッターで、シーズン70盗塁を2度達成するとともに、打率3割を5度、20本塁打以上を4度、79年には33試合連続安打の日本記録も作った。

 そして90年代には、偉大なトップバッターが出現した。1人目が、オリックスのイチローだ。高卒3年目の94年に一気にブレイクし、シーズン210安打を放って打率.385をマーク。翌95年には1番打者、そして神戸の震災復興のシンボルとして活躍し、打率.342、25本塁打、80打点、49盗塁の成績を残し、首位打者、最多安打、打点王、盗塁王、最高出塁率の五冠を獲得した。その後は3番に打順を移したが、メジャー移籍後は再び1番打者としてヒットを重ね続けた。

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90年代のもう一人の偉大な1番打者は?