瓶の栓が抜けたように一通り吐き出し、いったん着陸してしまえば作業は終わったようなもの。そう自分を励ましつつ、文章が一つのストーリーとして流れているか、見直していく。

 書いて1、2日すると、まるで他人の文章のように映るから不思議だ。ダブりを削ったり、ストーリーを大改造したりと、大胆に手を入れていく。「例の先輩記者ならばかくや」と想像するほどだ。

 さて、そのご本人の求めに応えて、執筆の流儀をここまでに三つ挙げた。並べればきりがないが、どこまで求められているかがわからない。へそ曲がりゆえ「うまいコラムの書き方」というリクエストに悪文で返すのも面白い。ここでブッツリ、「着地」することにする。空中で体を反転させて着地する姿はいかにも苦しまぎれに見えるだろうが、けっきょくこここそが書きたかった、予定通りの着地点なのだ。

 あれは入社後のいつ頃だろうか。高校野球の地方大会に出場する母校の応援で、東京都内の球場に出かけた。炎天下で素振りを繰り返す1人の選手と点差を見て「次の打席が高校最後になるかもしれない」と思った瞬間、あることに気づいた。

 彼がどれだけ熱心にバットを振っても、左右できるのはおそらく次の打席の出来まで。この試合で彼に巡ってくる打席数が大幅に増えることはない。

 一方、自分たち新聞記者はどうか。何かについて「原稿を書こう」とバットを振りにいけば、自分で打席、打点を増やせる。それなのに、いつの間にか紙面を記事で「埋める」ことに汲々となり、書こうとする意欲が乏しくなってはいないか――と。

 あまり書かない理由を、文章が下手だから、という後輩記者の声も耳にしたことがある。

 もちろん「文章の書き方」は記者の関心事だが、それよりもはるかに彼らに身につけてほしいことが、私にはある。たとえ文章が下手でも「これは書かなくてはいけない」と、どんどんバットを振りにいくような問題意識だ。そのためにはどうしたらいいか。私自身、知りたい。

※この連載が書籍になることが決まりました。その作業のため、今後は事前の告知なく連載をお休みする場合があります。ご了承ください。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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