2001年、連載用に撮り下ろした飯島さん(撮影/小暮誠)
2001年、連載用に撮り下ろした飯島さん(撮影/小暮誠)
 

 タレントの飯島愛さんが変わり果てた姿となって自宅マンションで発見されたのは、2008年12月24日だった。亡くなって10年になるが、飯島さんと親しかった人々にとってクリスマスイブは悲しい思い出が蘇る日でもある。

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 飯島さんは01年から03年まで、「週刊朝日」で『飯島愛の錦糸町風印税生活』というコラムを連載。その担当編集者・福光恵もその1人だ。飯島さんは亡くなる直前まで性の悩みを持つ女の子たちを応援するサイトを立ち上げようと奔走し、福光もスタッフとして参加していた。飯島さんは週刊朝日でコラム連載中から、女の子たちを性感染症から守ることの大切さを訴え、のちに『生病検査薬≒性病検査薬』(朝日新聞社刊)という一冊の本となっている。第6回は福光ら新事業に参加したスタッフらが語る飯島さん最後の7日間―-。

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<<ようやく目が覚めたのはこのとき。壁にぶつかりながら玄関まで行ってドアを開けると、マネージャーが涙を流して、「飯島さん! 生きてたんですね~!」と、ほっとされた。管理人のおじいちゃんまで、「よかったね~」とか言ってる。まるで「バラ珍」。再会に喜ぶ肉親とそれを見て涙を流す徳光さん状態>>(『生病検査薬≒性病検査薬』、「爆睡」より)

 スタッフの1人が緊急入院して手術したことを、マネージャーたちが飯島さんに知らせようとしたときのことだ。携帯や家の電話に数え切れないほどコールし、マンションのインターホンを鳴らしてもいっこうに返事がない。

「もしかしたら飯島さん、死んじゃってるかも?」

 誰もがそう本格的に不安になり始めたとき、上記のように寝ぼけ眼の飯島さんが登場して、再会のドラマが展開された……と、飯島さんは書いていた。

飯島さんは大のApple好き

 週刊朝日の飯島さんのコラムの担当編集だった私も、突如飯島さんと連絡が取れなくなり、やきもきさせられたことが何度もあった。

 引退後の08年春ごろ、飯島さんから久々の電話があり、性の悩みを持つ女の子たちを応援する、コンドームやアダルトグッズなどを作って売るメーカーを始めることを知った。それも名前だけの社長なんかじゃなく、商品開発、パッケージデザイン、ネーミングなど、すべてに飯島さんが関わるホンモノの社長とのことだった。

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「手始めに…」飯島さんの構想とは?