「愛さんは口が悪いけど、誰よりもやさしい。自分も愛さんのようなやさしい人でありたいなと思うようになりました。ほんまに人のために動く人で、相手のほしい言葉をあげる。自分のためじゃなくて、それが愛なんですよね」

 自伝のヒット以降、飯島さんが「めっちゃ忙しくなった」ことで、何年か会わない時期もあったという。だが2007年に飯島さんが芸能界を引退する前後から、ニューヨークに旅行に行くなど、姉妹のような関係が復活した。

「引退後はいろんなことをやりたいと言っていたけれど、『手始めは(今で言う)ユーチューバーになる』なんて言っていたこともあった。『きっとそういう時代になる。テレビに縛られているのはイヤだ』とも。当時、『レッツゴー!陰陽師』というダンス動画が流行っていて、そのビデオを録りたいからとお願いされて、どっかの廃墟に白装束を着て行って、ダンスしている動画を友達と録らされたこともありました(笑)。結局それはYouTubeには上げなかったですけど」

さまざまなことを同時進行

 飯島さんの連載をまとめた『生病検査薬≒性病検査薬』には、こんなコラムも掲載されていた。

<<いいなあ、今の子供たちは。小さいときからビデオカメラがあって。私の子供のころの思い出は全部静止画。やっぱり動く絵は魅力的だよね。そのせいか、私は若い頃からビデオを撮るクセがあります。お誕生日とか、パーティ、旅行、ボウリング大会、そして好きな人とのデート。はっきりいってそのころ、今みたいにちいさくないビデオカメラを持って出かけるのはめんどくさいし、観光客丸出しでカッコ悪くはあったけど、でも今は思い出が残ってすごくよかった。ただビデオを撮るほうに夢中になって、ちゃんと肉眼で見て、五感を使うっていうことを忘れていたかもね>>
(「ビデオカメラ」より)

 またこのころの飯島さんは、アニメの原作小説を書いて、映画監督の押井守さんに持ち込んでいたようだ。紗理奈さんも完成途中を読ませてもらったというが、その作品は没後の2010年、映画監督の押井守さんの監修で、『Ball Boy &Bad Girl』(幻冬舎)という小説になって発売されている。

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弱い人に手を差し伸べる人