假屋崎省吾さん(撮影/小原雄輝)

 タレントの飯島愛さんが2008年12月に亡くなって、ちょうど10年が経つ。突如訪れた飯島さんのミステリアスな死は、当時、死亡日時や死因の曖昧さからメディアも連日のように取り上げ、憶測が飛び交った。

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 飯島さんは人気絶頂だった01年から03年までの約2年の間、「週刊朝日」で「飯島愛の錦糸町風印税生活」を連載していた。のちに『生病検査薬≒性病検査薬』(朝日新聞社)のタイトルで書籍化。当時あまりオープンにされることのなかった「性感染症予防」を広く訴えていた。AERA dot.では、連載中から亡くなる間際まで飯島さんと付き合いがあった担当編集者・福光恵が、交流のあったタレントや芸能関係者、親族らをあらためて取材。第4回は、「金スマ」の愛称で親しまれる人気バラエティー番組「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS系)で放送当初から飯島さんと共演してきた華道家の假屋崎省吾さんをインタビューした。

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「私は文化人ゲストとしての出演で、芸能界のことを何も知らない頃でした。収録でも、『あの人は何者だ!?』という空気がありました」

 懐かしみながら、飯島さんの第一印象をそう話した假屋崎さん。2001年秋、金スマの収録がきっかけで2人は出会う。まだメディアに出始めたばかりで、周りにいる誰一人として自分のことを知らない状況。でも、飯島さんだけは違っていたという。

「きっと愛ちゃんも『誰なんだろうな』と思われていたでしょうけど、気さくに話しかけてくれたんです。こちらが分からないように、さり気なく気遣いをされる方でした」

 その後、番組の収録で2週に1度、スタジオで会うようになった。金スマはバラエティー番組でありながらも、時には社会的な内容も取り上げる。女性刑務官の密着ドキュメントを流したかと思えば、リフォーム特集を組んだりとさまざま。スタジオに座る飯島さんはどこか気だるげなのに、人の意見に左右されない姿が印象的だった。核心をえぐるようなコメントに、ハッとすることも。

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金スマの忘年会では今も…