「PK戦になってほとんど負けていたけど、ああいう観客の歓声を静まり返らせることができて、本当にうれしかった。この状況の中で勝つことに意味があると思っていた」と宮本が安堵感を口にし、中村も「向こうが足を蹴ってきても全然レフリーは取らないのに、こっちが蹴ったらすぐファウルになる。審判もスタジアムもみんなおかしい。やっててかなりイライラした。でも先に進めてよかった」と前向きに語ったように、この1戦が大会の明暗を大きくしたのは確かだ。

 重慶を離れてからも反日ムードは続いた。準決勝・バーレーン戦の会場は済南。観客数がやや少なかったものの、国歌斉唱時のブーイングや起立拒否は相変わらずで、日本がミスするたびに歓声が上がった。この環境に加え、前半途中には遠藤保仁が不可解な判定で一発退場。10人での戦いとなる。1-0でリードされ、前半を終えた日本は後半に入って2-1と逆転したが、ラスト5分で3-2にひっくり返された。万事休すと思われた終了間際、中澤の劇的ヘッドが飛び出し3-3で90分が終了。延長戦に突入する。そこで大いなる輝きを放ったのが、当時24歳の若き快足アタッカー・玉田圭司。彼の1試合2ゴール目が決まり、逆境を乗り越えた日本はついにファイナルへ進出。ホスト国・中国と北京の工人体育場で激突することになったのだ。

 決勝前の北京の会場付近は物々しい雰囲気に包まれた。筆者は工人体育場の建物内にあるホテルに泊まっていたのだが、前日、日中に「保安検査」なるものが行われ、不在の部屋に勝手に入られ、スーツケースの中まで調べられた。隣の部屋に滞在していた男性カメラマンは入浴中にいきなり保安員たちが侵入してきて、全裸でその様子を見守る羽目に陥ったという。全ては安全のためなのだろうが、宿泊者のプライバシーなど一切関係ない。もちろん14年前の話ではあるが、当時は大いに驚かされたものだ。

 決勝当日もスタジアムに1万2000人規模の警備員が配置された。2008年北京五輪を控え、混乱を防ぎたい政治的な判断だったという。けれども、国歌斉唱時のブーイングはこれまでにないほど大きく、プレー中にモノを投げる行為も後を絶たなかった。こうした環境ゆえに、中国有利の見方もあったが、日本は福西崇史、中田浩二、玉田が効率よく3得点を挙げ、3-1の勝利。見事に栄冠を勝ち取った。日本のぶざまな敗戦を見ようと集まった6万人超は不満が収まらなかったのか、試合後に日の丸を燃やし、日本代表が乗るバスにペットボトルを投げつける者も現れた。日本人サポーターが外に出られず長時間足止めを食らうなど、収集がつかない状態に発展したのだ。

 それでも冷静さを保ちつつ、大胆かつ繊細な戦いができたからこそ、2004年大会の日本は勝てた。川口、宮本、中澤、中村らはそういうプレーヤーたちだった。彼らのようなメンタリティを15年近い時間が経過した若き日本代表が引き継いでくれれば、UAEの地で5度目のチャンピオンの座を勝ち取れる可能性は大いにある。中国大会のようなタフさをいま一度、選手たちに強く求めたい。(文・元川悦子)