花土溝という街から敦煌に向かった。ちょうど国慶節の休暇で、敦煌は混みあっていた。バスも満杯で、相乗りタクシーに乗るしかなかった。

「敦煌は混んでいるんだろうな。きっとホテルも高い」

 そんなことを考え、運転手に、「敦煌から柳園まで出ることができないか」と訊いてみた。「相乗りタクシーなら行けるよ。なんなら知り合いの運転手に連絡しようか。でも、莫高窟を見なくていいの? 一生、後悔するよ」

 後悔はしないような気がした。僕は昔から有名な観光地を敬遠してしまう旅人だった。

 連絡してくれた相乗りタクシーに乗って柳園まで出た。

 いい街だと思った。昔の中国だった。駅前に連なる木造の店は、どこも駅前食堂の趣だった。

 2006年、敦煌までの線路ができたが、敦煌行き列車は柳園を通らなかった。だいぶ手前で分岐してしまう。柳園は置き去りにされてしまったのだ。駅前には一応、敦煌に向かうバスや相乗りタクシーが停まっていたが、最寄り駅だった時代に比べれば、その数はだいぶ減ったはずだ。駅前にホテルは何軒かあったが、外国人が泊まることができるのは1軒だけだった。

 1泊し、翌日の列車で西安に向かった。朝、駅前の食堂に入った。メニューに書かれている豆漿を頼んだ。日本でいう豆乳である。

 おばさんは脇に置いてあるポットを指さした。そこから丼に注いで飲めということらしい。2006年でこの街の時間が止まってしまったようだった。

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下川裕治

下川裕治

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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