■リーダーシップと恐怖政治を履き違えた安倍総理

 安倍総理にはリーダーシップがあるという人がいる。しかし、リーダーシップと恐怖政治というものは根本的に異なる。

 リーダーシップには、前提として、その組織に共通する大きな「公的な」目標が必要だ。それに向けてリーダーの指揮管理の下で各メンバーが動いていく。政府という組織で言えば、「国民のため」というのが、共通の大目標だ。

 一方、恐怖政治では、トップには目標があるかもしれないが、そのメンバーに共有されるような公的なものではない。その時々にトップ「個人」が欲することに合わせてメンバーが動く。したがって、大きな目標との関係で、具体的な行動が正しいのかどうかを判断する基準が見出せないのだ。国民のために働くという大目標が共有されていれば、それに反する行為については、何らかの歯止めがかかる。ところが、目標はその時々の安倍総理の胸のうち、ということであれば、とにかく安倍総理の気持ちを忖度して動くしかない。こういう特色を持つ組織としては、暴力団を思い浮かべる人も多いだろう。

 憲法改正でも、集団的自衛権の行使容認でも、働き方改革でも安倍氏がイエスと言えば善、ノーと言えば悪ということになってしまうのだ。森友事件で、公文書改ざんという前代未聞の不祥事に、自殺者まで出しながら、とどまることができずに財務省が最後まで突き進んでいったのは、安倍総理は、止めろとは言わない、むしろ突き進めと考えている、そう官僚たちが判断したからである。正義とか国民のためという判断基準ではなく、安倍総理がすべてという構図。つまり、この不祥事は、安倍政権に特有の不祥事だったのだ。
 
■官僚機構を再生させるには権力者の交代しかない

 独裁政権の一番怖いところは、「権力者の命令によって」許されないことが実行されるということではない。「権力者が命令しなくても」、その組織全体が権力者の意向を忖度して、あらゆる分野で悪政を実行するようになることである。今の安倍政権は、そういう意味で、独裁政権に近づいていると言っても良い。このままの状況が続けば、この国の行政は停滞ではなく後退し、腐敗はその極に達するであろう。

 では、それを避けるためにはどうすればよいのか。もはや、安倍総理が、官僚に向かって、「襟を正そう」「正しいと思ったことは何でも進言するように」などと訓示しても、全く意味がない。なぜなら、訓示する人が平気で嘘をつくことは官僚が最もよくわかっているからだ。そんな言葉を真に受けて総理の指示に反する意見など言おうものなら何をされるかわからないと思ってしまうだろう。

次のページ
安倍総理は、谷垣禎一氏に学べ