巨人時代の清原和博氏 (c)朝日新聞社
巨人時代の清原和博氏 (c)朝日新聞社

 プロ野球はストーブリーグに突入した。各チームの来季へ向けた補強戦略なども気になるところだが、シーズンオフとなり、プロ野球がない日々に寂しい思いをしている方も少なくないだろう。そこで、今回は「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に歴代最多196回のデッドボールを受けている清原和博の死球をめぐるエピソードを振り返ってもらった。

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 度重なる死球禍にブチ切れた清原が「今度来たら顔をゆがめたる」と息巻いたのが、巨人時代の1998年7月10日の阪神戦(東京ドーム)。

 2対2の同点で迎えた5回1死、藪恵壱の初球、シュートが内角高めに抜け、清原の右手親指をかすめた。

 怒りで顔を紅潮させた清原がゆっくり2歩、3歩とマウンドに歩み寄る。これを見た藪は慌てて帽子を取り、謝るそぶりを見せたが、清原はなおも鋭い眼光で藪をにらみつける。PL学園の先輩にあたる捕手・木戸克彦が止めに入り、ようやくことなきを得たが、にらみ合いは約2分間も続いた。

 実は、清原は巨人にFA移籍した前年から藪と32打席対戦して、これがなんと4個目の死球。3度目の死球の際に「今度やったら、しばいたる」と怒りをあらわにした清原に対し、藪が「内角は弱点ですから。それに清原さんなら、避ける技術があるはず」と、挑発とも取れる受け答えをしたことから、因縁対決の様相を帯びていた。

 この回、巨人はこの死球をきっかけに勝ち越し点を挙げ、5対2と快勝するも、試合後も清原の怒りは収まらない。

「仏の顔も3度とあるが、(4度目の死球は)それを超えとる。木戸さんも止めに来たし、今日は我慢した。阪神はFAのときに誘ってもらった吉田(義男)監督もおるし、ええ人が多い。でも、アイツだけは……。(巨人以外の)他球団ならとっくに(乱闘に)行ってる。昨年は“しばく”と言ったが、今度来たら顔をゆがめたる」

 だが、翌年5月5日には、またしても藪から左手に死球を受け、亀裂骨折したばかりでなく、直後にけん制死と踏んだり蹴ったり。以来、清原は藪の内角攻めを意識するあまり、外に逃げるカーブや落ちる球で裏をかかれるなど、通算50打数8安打0本塁打に抑えられている。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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翌年には頭部への危険球騒動が勃発!