仕事でも食事でもいい。そこで自分がやりたいこと、得たいことは何かを切り出すことだ。それを実現するために、何をはじめ、これまでやってきた何をやめるのか、考えを行動に移してはまた考えて、を繰り返すのだ。

 それにしてもと、ふと思うことがある。患者の端くれとして私にもそれなりの苦労はあるのに、人様の悩みや相談について、なぜ深入りしそうになるのだろうか、と。

 もともと、「親切はできる人ができる時にするだけで世の中はだいぶ良くなる」というのが持論だ。体の具合などで常には無理でも、積み重ねれば大きくなると信じている。

 多くの人にはどこかしら愚かなところがあるものだ。先日、お見舞いにきた知り合いが自分や家族の体調を話すなかで「がんじゃなくてよかった」と2度、強調した時は耳を疑った。がん患者によっては、不愉快な思いをする人もいるだろう。デリカシーの欠如を指摘して教育を施すべきだったと、時間が経つにつれて思えてきたものの、初めは「ひどくデリカシーがないな」と、かえって噴き出しそうだった。突き放そうにも、突き放せない。自分の愚かさを思うとできないのだ。

 想像してほしい。一人一人の足元で縦横2本の軸が交錯している姿を。縦軸は過去から未来へと延びる歴史。横軸は同時代を貫く、各地への広がりだ。

 同時代については以前、「がん患者になって痛感したことが『戦争はいけない』ということだ」とコラムで書いた。命を仲立ちにすることで、連帯感を覚えるようになったのだ。病気になったあと、不思議なことに、歴史への関心がより高まった。人の生涯の積み重ねだからだろうか。

「僕らはみんな生きている」とは唱歌の歌詞の一節だ。生きていれば嬉しい時も、悲しい時もある。自分の力はわずかでも、横を歩む人たちから求められる限りは、出し尽くしたい。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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