カズにイス投げ、中田は蕁麻疹…「ジョホールバルの歓喜」から21年 今とは違う代表の持つ意味【元川悦子】

元川悦子dot.
 日本代表の背番号8をつける20歳のMF中田英寿が疲労で足の止まったDFを次々とドリブルでかわし、体勢を崩しながらもシュートをお見舞いした。イランの守護神アハマド・アベドザデが弾いたボールに鋭く反応したのは、岡野雅行(現・鳥取GM)。この日、何度も決定機を逃してきた快足FWが最後の最後に丁寧に押し込んだ右足シュートがネットを揺らした瞬間、ピッチ上の選手が駆け回り、岡田武史監督(現・FC今治代表)が号泣。ベンチに下がっていたカズ(三浦知良/横浜FC)が若い選手たちを力いっぱい抱きしめた。マレーシア・ジョホールバルのラルキンスタジアムに押し寄せた青・青・青の日本人大サポーターも歓喜で大きく揺れた……。

 それが今回のベネズエラ戦からちょうど21年前、1997年11月16日に行われた98年フランスワールドカップ・アジア最終予選第3代表決定戦の日本対イラン戦、いわゆる『ジョホールバルの歓喜』の幕切れの風景だった。

 アジアで本大会の切符を取るために紆余曲折を強いられた時代から20年以上の時が経過し、日本代表は6度のワールドカップに出場。このうち3度もベスト16に進出するまでになった。今夏の2018年ロシアワールドカップでも8強の壁に挑み、あと一歩のところまで達しながらベルギーにまさかの逆転負けを喫したものの、代表23人中15人が海外組というメンバー構成に象徴される通り、日本のレベルが飛躍的に上がったのは間違いない。

「『勝ったらすごい』という状況で『どうせ負けるだろう』っていうプレッシャーの中でやるのと、『勝って当たり前』と思われるプレッシャーの中でやるのとはまた違う」と現キャプテン・吉田麻也(サウサンプトン)も2019年1月のアジアカップ(UAE)で制覇を求められている現在の心境を口にしていたが、そういうメンタリティは21年前の代表にはなかったかもしれない。ジョホールバルの時代の日本代表はあくまで“アジアの挑戦者”だったからだ。

 当時の重圧は今とは比べられないものがあった。93年10月28日の『ドーハの悲劇』を経験してから、ワールドカップ出場権獲得は日本サッカー界の悲願だったからだ。また、02年日韓大会開催が決まり、「ホスト枠で初出場」という不名誉を避けるためにもフランス大会に出場しないわけにはいかないという政治的事情も重くのしかかった。

 だが、1997年10月に1都市で開催されるはずだったこの最終予選が急きょ、ホーム&アウェー方式に変更。各国リーグ戦を中断して9〜11月にかけて集中的に行われることになった。10月を視野に入れていた日本代表の強化計画は大きく狂い、Jリーグ日本人選抜と外国人選抜が対戦するのが通例だったオールスター的大会の『JOMOカップ』を急きょ壮行試合にしなければならなくなったほどだ。


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