元近鉄の佐野重樹(慈紀) (c)朝日新聞社
元近鉄の佐野重樹(慈紀) (c)朝日新聞社

 2018年シーズンが終了し、早くも来シーズンへ向けた各チームの動きも気になるが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、80~90年代の“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「あれれ?のハプニング編」だ。

*  *  *

 近鉄、中日オリックスでプレーし、通算41勝、27セーブを挙げた佐野重樹(慈紀)は、薄くなった頭髪をナイター照明で光らせて打者を幻惑するピッカリ投法で人気を博した。

 そのきっかけとなったのは、近鉄時代の1995年8月26日のオリックス戦(藤井寺)での思わぬハプニングだった。

 0対7と大きくリードされた近鉄は、5回から佐野が3番手としてマウンドに上がった。同20日の西武戦(西武)以来の調整登板だったが、この日は好調で、藤井康雄を三振、馬場敏史を三ゴロに打ち取り、あっという間に2死。

 次打者・中嶋聡が打席に入ると、佐野は「いつもセットポジションでしか投げていないので、ワインドアップで投げてみよう」の遊び心から試しに投げてみた。

 すると、セットのときよりグーンと球速も伸び、1球目が148キロ、2球目が149キロを記録。すっかりその気になった佐野は「今度は150キロを」と大きく振りかぶったが、その際に腕が帽子のつばの部分に当たり、帽子が浮き上がってしまった。薄くなった頭髪があらわになり、「このまま投げたらカッコ悪いな」と動きを止めていると、ナイター照明がテカテカの額を鮮やかに照らし出し、ピカーッと光った。

 これを見た中嶋と捕手・的山哲也はこらえきれず大笑い。東利夫球審も「タイム!」をコールすると、その場にうずくまって笑いだした。

 このピッカリ投法が功を奏し、中嶋は右邪飛。6回も風岡尚幸を空振り三振、勝呂壽統を見逃し三振、イチローを一ゴロとパーフェクトに抑えた。

 にもかかわらず、翌日のスポーツ紙でまったく話題にならなかったのは、チームが大敗したことに加え、オリックスの先発・佐藤義則が40歳代(40歳11カ月)では史上初のノーヒットノーランを達成したため、霞んでしまったのである。

 だが、オフの「珍プレー・好プレー大賞」で文字どおり“光”が当たりブレイク。引退後の現在も“ピッカリ”のイメージで幅広く活躍中なのだから、人間、何が幸いするかわからない。

 うれしい誤算どころか“うれしい大誤算”とも言うべき珍事が起きたのが、98年5月15日のダイエーvsオリックス(グリーンスタジアム神戸)。

 この日4番DHで出場予定のオリックス・ニールが試合開始直前、腹痛を理由に交代を申し出たのが、すべての始まりだった。

著者プロフィールを見る
久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

久保田龍雄の記事一覧はこちら
次のページ
嘔吐や下痢も併発する重症…