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日本、妻、サムライ

連載「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の「ニッポン学」」

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ニシム・オトマズキンdot.

Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長

Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長

エルサレムにて(写真/尾木和晴)

エルサレムにて(写真/尾木和晴)

 はじめまして。ニシム・オトマズキンといいます。イスラエルのエルサレムと京都を行き来しながら「日本の政治と文化」を専門として、ヘブライ大で学生たちに日本について教えています。近年はイスラエル人のあいだで日本の文化や社会について感心が高まっている。京都とは縁が深く、京大大学院に留学して8年間住んでいました。おかげさまで博士号を取得することができ、今でも毎年、夏には京都で過ごしています。暑いですけどね。

 なぜ、60回も金閣寺に行ったのかといいますと、京都に住んでいたとき、知り合いのイスラエル人が京都観光に来たときには、「金閣寺に連れて行ったほしい」と頼まれるんですよ。京都観光のハイライトなんです。8年もいると自然と60回くらいになります。同時に伏見稲荷や嵐山にも同じくらい行っていますが。京都以外に住んでいる日本人よりも京都のことは詳しいです。

 私の大好きな場所は、法然院と哲学の道沿いにある四柱神社です。小さな、あまり知られていない神社仏閣が好きです。京都に来る前は、日本人の友人に「京都人はよそものを歓迎しないことで悪名高いよ」と脅されましたが、実際に住んでみると、親切に受け入れてくれました。ほんとうは優しい街です。

 最初の日本のイメージは10歳か11歳くらいにイスラエルのテレビでみた米国ドラマ「将軍」でした。江戸時代、難破した船から救われた外国人が、日本に住んだだけでなく、サムライとなり日本人妻をめとった人生をいきいきと描いていました。米国人の目を通して日本の姿でしたが、私は当時の日本人とその姿に魅了されました。私の国イスラエルと何もかもが違っていたのです。

 そのとき、私は決めました。いつの日かアジア大陸を横断して日本に行き、サムライになり、日本人と結婚したいと。ついに私はそのすべてを実現しました。研究のため数年間日本に留学、日本人女性と家庭をもつことができました。そして「博士号」という研究職でのサムライになることができたのです。

 京都に住んでいるとしばしばイスラエルは戦争やIT立国を連想させます、と尋ねられます。イスラエルは四国とほぼ同じ面積で、人口は約800万人の小国です。このコラムでは、京都とエルサレムという古都を行き来しながら感じてきた経験を書いていきたいと思っています。

 お付き合いください。

◯Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。


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Nissim Otmazgin

Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

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