当初、武装勢力は安田さんをどう扱うかを決めていなかったような様子で、あくまで『ゲスト扱い』という言い方をしたという。同年7月月下旬に「日本政府にカネを要求する」と知らされた。

「この時点で正式に人質であると言われました。8月上旬に日本に送るから個人情報を書けと言われ、家族の名前や家族への簡単なメッセージ、申し訳ないというようなメッセージを書いて渡しました。彼らはアメリカにある日本の領事館に送った、メールを送ったと言っていました。シリアではなく、別の国にいる協力者がその作業をしていると。それに対して日本側から『カネを払う用意はある』と返事がきたと。それで彼らは金銭や特殊な武器などのリストを日本に送ったと。日本側からは「武器は無理だ。カネを払う用意はある。あなたたちはどういう組織か」と返信が来て、その後はお互いのらりくらりと。彼らから言われたのは、『組織名は日本側に言ってない』ということ。私にも言っていません。(反体制派武装勢力)『自由シリア軍』と共同作戦を行っているというようなことを言っていました。彼らは外国の組織や国からの支援は基本的に受けていない。それをやると、(支援元の)言うことを聞かなくてはいけなくなるので、それをしないようにしているんです。お菓子工場とかいろいろなプロジェクトをやって、自分たちで資金を稼いで資金を調達していると言っていました。

 そういうことで、日本側には組織名は言わないと。私に対しても言わない。組織名を言って、例えば身代金をとった場合、身代金の支払いと同時に報復の空爆を受ける可能性がある。彼らの組織がそういう活動をしていることを、他の組織に知られることを避けたかったのかなという印象でした。最後まで彼らの組織名は基本的には言われていません。組織名を言わなくても日本側がカネを払うだろうか、と言ってきたり、日本側とやり取りをしているようなことを言われました。私は日本政府は時間稼ぎをしているのではないかと考えました。イスラム国の事件では湯川遥菜さん(当時42)、後藤さんに対し、身代金を払うことはしていなかったので、相次いで殺害されたので、私に対してもないはず。日本政府は対応を当然やるはずだと思っていたので、政府は時間稼ぎをしているのではないのか、と思っていました」

 監禁された民家の部屋には衛星番組を見るテレビがあったという。

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