別の二人組がシリアに行こうかという話を私にしてきて、話が違うなとは思いましたが、話がついているような様子で、聞いている話と違うと思ったのですが、これは自分でも分からないのですが、そういうものなのだろうとそちらから入ってしまったのです。自分でもおかしいと思いながら、そのまま歩き続けてしまった。1時間ほど歩いて、ここがシリアとトルコの国境だというところを越えて、二人組の仲間に両腕を強くでもないですが、掴まれるというか、促すようでしたが、彼らのトラックに乗せられ、私は後部座席、彼ら二人は前の座席に座って、目隠しはされずに移動していきました。移動をはじめて数分でチェックポイントがあり、移動中に(イスラム系過激組織『ヌスラ戦線』のものと思われる)チェックポイントがあり、運転手が所属の組織を聞かれていました。運転手はぼそぼそと説明して入りましたが、彼ら(チェックポイントの人物)の仲間である、同じ組織の人間に対する接し方と違うと感じました」

 そこから安田さんはしばらく車で走り、東側に曲がって20分ほど走り、そしてホブス(パン)工場の事務所に入れられたという。

「ここでは荷物はまだ奪われていません。そこに6月22日の深夜に入ったので、23日の朝に彼らの関係者から『荷物を置いてお前だけ来い』と車に乗せられ、連れて行かれ近くの民家に監禁されました。当初はスパイ容疑の尋問が始まり、23日の2日間は何者であるかをとにかく聞かれました。25日になった時点でスパイ容疑は晴れたようで誰も言わなくなったが、監禁は解けず、26日深夜に別の場所に移動すると車に乗せられ、住宅地の中の集合住宅と思われる建物の地下に移動しました。この時点で彼らは上空に米軍の無人機が偵察に来ると思っているので、『見られないように移した』と言われました。

 その地下室というのが、非常に水はけの悪い6畳ほどの部屋。床が本当に水たまりに近く、非常に環境が悪くて。毎日来ていた通訳も『この環境はわれわれとしても良くないと思っているので移動する』と言われました。29日深夜に一戸建ての民家に移動させられました。民家は、おそらくそれまで空き家だった建物。床などはかなり汚れていて、私のために探してきたんだろうと思いました。その場所の1部屋を私のために使い、もちろん窓とドアは閉められていて、当初は窓は開いていましたが、外のシャッターは閉まっていました。見張りは、初日からいた人物を含む5人で、1人はイエメン人、残りはシリア人だと言われました。彼らと話す間に分かったんですけれども。そして完全監禁状態が始まりました」

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正式に「人質である」と言われました