そういった地域に外国人義勇兵も集まっていて、生活しながら反政府軍に関与している。反政府運動そのものを疑問視する声もありましたが、そういった人々がどのような事情でそういった戦闘地域にいたのか、彼らがどんな理想を抱いてそこに来るのか、社会に問題があるのかどうか、というところまで広げることができれば、これからの世界を見る上で参考になるのではないかと考えたことが、今回の目的でした」

 ここから安田さんは拘束から監禁に至るまでの経緯を生々しく語り出した。
 
「現地(シリア)に入る方法を探るため、現地の組織にいくつか当たる中で、日本人の知人から紹介されたシリア難民の小学校を運営している知り合いがいまして、そこのシリア難民の紹介で、今回、シリア入りするきっかけをつくってもらったガイドと知り合いました。ガイドは、15年にイスラム教スンニ派過激組織『イスラム国』(IS)に拘束、殺害された後藤健二さん(当時47)のガイドもしていた人でした。(ガイドは)後藤さんがイスラム国に拘束され、動画が公開されたときに(抗議の意味で)『I AM KENJI』と紙を掲げて活動しており、彼も顔を出して活動していました。(ガイドは)トルコ(南部)のアンタキヤというところに住んでいたが、顔を出すのは一定のリスクがあった。そういうことを含め、私は彼を信用していました。彼が紹介してくれたシリア側の組織が反米武装組織でした」

 6月22日に「シリアに入る」と案内をする人物から連絡が入ったという。トルコからシリアへの入り方は、国境付近は山岳地帯なので、夜陰にまぎれて入っていく、という方法だった。

「ガイドについては仕事があるので現地で兄がお前を受け入れると。『兄は(武装組織の)司令官で、彼がお前の身元保証をする』と言っていました。国境の町からシリアに入り、ガイドのいとこの人物が車で迎えに来ているので彼の実家に行き、兄と合流するというのがシリア入りについての説明でした。案内人とシリアに入ろうとしたら、その辺りは多くのシリア人が出入りしていました。トルコ側の国境がかなり厳しい警備で、銃撃された人がいるというニュースもありました。入ろうとした場所は、多くのシリア人の出入りに利用されており、案内人が一人で中に入っていって、出てと二往復ほどやっていました。その間、私は暗闇の中で待っていましたが、彼がシリア側に入って様子を見に行っている間に別の方向からシリア人がたくさん入ってきまして、シリア人の家族を送ってきたような様子でした。

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「暗闇の中で待っていた」