「品川庄司」の品川祐 (c)朝日新聞社
「品川庄司」の品川祐 (c)朝日新聞社

 多くのタレントが出演するバラエティ番組の収録現場において、彼らが並んで座る階段状のセットのことを「ひな壇」と呼ぶ。この「ひな壇」という用語は、今ではテレビをよく見る人なら誰でも知っているような言葉になっている。ひな壇形式のトーク番組である『アメトーーク!』(テレビ朝日系)がヒットし始めたあたりから、ひな壇を用いる番組は徐々に増えていき、テレビ界を席巻した時期もあった。

 品川庄司の品川祐は、そこで輝いていた「ひな壇の申し子」のような芸人だった。そもそもひな壇という言葉が世間に浸透したのは、品川の発案によって『アメトーーク!』で「ひな壇芸人」という企画が行われたのがきっかけだ。ここで品川は、ひな壇という戦場で自分が何を考えてどういうふうに振る舞っているのか、その知られざるテクニックの数々を赤裸々に語ってみせた。

 この時期に品川はタレントとして絶頂期にあった。ブログ本、料理本、旅行記などの著書を立て続けに出版。中でも半自伝的小説の『ドロップ』がベストセラーになり、自ら監督を務めた映画版も大ヒットした。ひな壇番組を中心に、バラエティにも多数出演していた。何をやってもうまくいく状態が続いていたのだ。

 しかし、この時期に品川は思わぬ形で洗礼を受けることになった。2007年、『アメトーーク!』の中で有吉弘行が品川に「おしゃべりクソ野郎」というあだ名をつけたのだ。ただの悪口にしか見えないひどいあだ名なのだが、観客はここで大爆笑。「おしゃクソ事変」として視聴者の間でも長く語り継がれる伝説的な事件となった。

 有吉が品川を「おしゃべりクソ野郎」と呼んだ瞬間に大きな笑いが起こったのは、調子に乗っている品川のことを多くの人が心の底では「うっとうしい」と感じていたからだ。有吉のあだ名は世間の声にならない声を見事に代弁していたのである。

 のちに明らかになることだが、この時期の品川は実際に調子に乗っていたようだ。スタッフに対しても態度が悪く、密かに嫌われていたのだという。それが原因となって、徐々にテレビの仕事は減っていった。

 その後、品川は「嫌われ芸人」として新たに脚光を浴びるようになった。2012年には『アメトーーク!』で「どうした!?品川」という企画が行われた。東野幸治が、世間に嫌われていることに気付いておとなしくなり始めた品川を励ますふりをして褒め殺しにする、という画期的な試みだった。

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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