ダイエーで活躍した田之上慶三郎 (c)朝日新聞社
ダイエーで活躍した田之上慶三郎 (c)朝日新聞社

 金足農業・吉田輝星、大阪桐蔭・根尾昂など甲子園のスター選手たちの存在もあり、注目が集まった2018年のプロ野球ドラフト会議が昨日開催された。今年も様々な人間ドラマが展開されたが、過去にも選手たちの運命を大きく変える出来事が起こっている。そこで今回は「プロ野球ドラフトB級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、ドラフト会議で起きた“B級ニュース”を振り返ってもらった。

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 1989年、ダイエーは野茂英雄(新日鉄堺)の外れ1位として、巨人の1位指名から漏れた元木大介(上宮高)を強行指名したが、憧れの巨人入りを目指す元木は、初志貫徹して一浪する。そして、この入団拒否が回り回って、1人の高校生の運命を大きく変えた。

 高校生の名は、田之上慶三郎(指宿商)。同年夏の鹿児島県大会では、喜界高の“桃太郎侍”高橋英樹(元広島)と投げ合い、0対1で初戦敗退。中央ではまったく無名の存在だったが、石川正二スカウトが練習を見に通ってきた。当時は「ドラフト外でも入れるかどうかも決まっていない状態」だったが、元木の入団拒否で選手枠が空いたこともあり、同年を最後に廃止されたドラフト外での入団が決まる。6人の同期生が毎年次々に戦力外通告を受け、「いつも“もうヤバいんじゃないか”と思ってました」という崖っぷちの日々を経て、田之上は8年目にプロ初勝利。2001年には13勝を挙げ、最高勝率のタイトルを獲得するのだから、人間の運命は本当に紙一重だと実感させられる。

 同様の例では、77年の中日。1位の藤沢公也が入団保留した(翌年入団)のをはじめ、3人が入団拒否したことから、急きょテレビ、新聞で新人募集を呼びかけた。応募してきたのは、当時名商大のエース・4番だった平野謙。その後の活躍はご存じのとおりだ。

 01年から06年まで実施された自由獲得枠をめぐり、ひと騒動起きたのが04年。ドラフト前々日の11月15日、オリックスの小泉隆司球団社長が、同枠での指名が内定している金子千尋(トヨタ自動車)の入団取り消しをほのめかす発言をして、物議をかもしたのだ。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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“未来のエース”を失う可能性のあったオリックス