中日・森繁和監督(左)と松坂大輔 (c)朝日新聞社
中日・森繁和監督(左)と松坂大輔 (c)朝日新聞社

 松坂大輔が3年契約の満了に伴い、ソフトバンクを退団することが発表されたのは昨年11月5日。新天地・中日への入団が決まったのは、今年1月23日。そのおよそ2カ月半の“タイムラグ”の間に、松坂獲得にいち早く名乗りを上げた球団があった。独立リーグ、四国アイランドリーグplus(四国IL)に所属する高知球団だった。

 球団社長の梶田宙(かじた・ひろし)は、松坂のソフトバンク退団が発表されると即座に動いた。まずコンタクトを取ったのは、四国ILのビジネスでつながりが生まれていた松坂の実弟・恭平だった。梶田と恭平は松坂世代の2学年下に当たる同級生で、梶田はそもそもリーグ創設の2005年から10年間、高知で外野手としてプレーした元プレーヤー。恭平も2006年から2年間、内野手として愛媛球団でプレーしたことがある。

「お兄さんは、次にプレーする球団は決まってるの? もしなければ、ウチとかでプレーするのは、どうなのかな?」

 恭平も、兄の真意までは把握できてはいなかったという。梶田にも高知球団にも、松坂本人に直接、ラブコールを届けるだけの人脈もパイプもなかったのは事実だ。それでも松坂に対し、高知球団が“全面受け入れ”の意思があることは何らかの形で伝わるだろうという期待を抱いてのアクションだった。

「高知でやってくれたら、盛り上がるじゃないですか。西武のとき、入団した当時のキャンプ地も高知(春野)ですし、松坂さんを応援してくれるファンの方も、高知には多いでしょう。何より、松坂さんのピッチングを実際に、僕が見てみたかったですから」

 梶田は愛知の古豪・享栄高出身。2000年春には、主将として春の甲子園にも出場している。松坂が横浜高のエースとして春夏連覇を果たした1998年は享栄高の1年生。「2年下ですから、めちゃくちゃ、リアルタイムでした」。夏の練習の合間に見た、甲子園の決勝戦。京都成章高相手にノーヒットノーランで優勝を決めた歴史的一戦は「ニュースだったかな、とにかく、どこかで見たんですけど、決勝戦でノーヒットノーランなんて、そもそも考えられないじゃないですか」。その衝撃は、今も忘れることがないという。

 その“同世代の大スター”を、高知に呼べないだろうか--。日本で、そしてメジャーでも、数々の実績を積み重ねた松坂を独立リーグに呼ぶ。夢物語のように聞こえるプランだが、高知球団にはこれまで、そうした仰天の球団戦略を実現させ、世間をあっと言わせてきた実績があった。

次のページ
高知が起こしたビッグサプライズ