投手としてはプロ野球史上初のシーズン2本の満塁本塁打を記録したのが、1999年のガルベス(巨人)だ。

 前年7月31日の阪神戦(甲子園)で、審判にボールを投げつける不祥事を起こし、無期限の出場停止処分を受けたガルベスは、シーズン終了後に巨人と再契約を結び、4月2日の阪神戦(東京ドーム)で球団史上初の外国人開幕投手を務めた。

 そして、5月21日の阪神戦(甲子園)では、0対0の2回に先制の満塁弾を放ち、完投で4勝目を挙げる。

 投手の満塁本塁打は、巨人では1959年の義原武敏以来40年ぶり4人目の珍事とあって、本人も「こんなに広い球場でホームランになるとはね。初体験だったよ」とご満悦だった。

 だが、これはほんの序曲に過ぎなかった。

 8月13日の横浜戦(横浜)、1点を追う6回無死満塁のチャンスで打席に立ったガルベスは、川村丈夫の初球、チェンジアップをジャストミート。なんと打球は左翼席を通過し、場外まで飛んでいった。

 推定飛距離140メートルの特大グランドスラム。「少なくとも犠牲フライにはしたかった。そういう楽な気持ちで打席に入ったんだ。たまたまあそこまで飛んだだけだよ」と謙遜する本人だが、チームの主砲・松井秀喜でさえも「ガルベスの飛距離には敵わないよ」と脱帽するほどの衝撃的な当たりだった。

 会心の一発に気を良くしてか、直後の6回から8回までをゼロに抑え、8回3失点で8勝目。96年に最多勝(16勝)のタイトルを獲得するなど、巨人在籍5年間で通算46勝を挙げた右腕は、打撃でも通算10本塁打、30打点と立派な成績を残した。投手で1シーズン2本の満塁本塁打を記録したのは、今でもガルベス1人である。

 ノーヒットノーランを達成したばかりの投手が、今度は自らのバットでノーヒットノーランを阻止する。こんなビックリ仰天の快事が実現したのが、1997年9月19日の横浜vsヤクルト(神宮)。

 9月2日の横浜戦(横浜)でノーヒットノーランを達成したヤクルト・石井一久は、この日も17日前の雪辱に燃える横浜打線を6回までゼロ行進させる。

 ところが、直近7試合の合計得点45で7連勝中とノリにノっているヤクルト打線も、横浜の先発右腕・戸叶尚を攻略できず、6回1死まで無安打無得点。“ノーヒットノーラン返し”をされそうな雲行きとなってきた。

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石井一久の“ノーノー破り弾”