私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。

今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、私がたくさんのダイバダッタに出会ってきたからだと思います。もちろん私自身がダイバダッタだったときもあります。ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、そういう難の多い人生を卑屈になるのではなく受けとめ方を変える。自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。

受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか。

石井:そう思うきっかけはなにかあったのでしょうか?

樹木:やっぱりがんになったのは大きかった気がします。ただ、この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。腰が重くなって、目がかすんで針に糸も通らなくなっていく。でもね、それでいいの。こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。

若くても不自由なことはたくさんあると思います。それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、不自由なまま、おもしろがっていく。それが大事なんじゃないかと思うんです。

石井:なるほど、それでは樹木さんがどんな子ども時代を送ったのかを、お聞きしてもいいでしょうか?

樹木:私が生まれたのは昭和18年1月15日、戦争の真っ最中でした。生まれたのは神田の神保町。母親はカフェをやっていて、父親は兵隊にとられていました。何度も住む場所を変えながら暮らしたそうです。記憶に残っているのは、青梅街道のバラック街。見渡すかぎりのバラックのなかで、幼少期をすごしました。私が4歳ごろのある日、中2階の布団置き場で遊んでいたんです。

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こういう価値観を持てたのは親がえらかった