野上:朝日新聞社が同じ意見かは分かりませんが、僕はその政治家が「正しい、正しくない」とは別に、距離はとらなければいけないし、全ての政治家は権力だと思っています。「安倍政権がどう」「野党がどう」ではなく、どこの応援団にもならないようにと思っています。

村本:実際、新聞は応援団なのですか?

野上:記者によっては、「この政治家と考え方が近い」というのはもちろんあります。でも、究極のところはわからないですよね。「どうして朝日新聞がこんなことを」と言われることもあります。もっと突っ込まないと、上滑りになって、そのうち見捨てられてしまう気もする。

村本:朝日新聞でもAERA dot.でも、それこそ琉球新報や沖縄タイムスでも同じですが、僕が喋った言葉が「メディアのフィルターを通した言葉」としてパズルが並び替えられている気がする。そしてメディアはそれを武器にする気がするんですね。僕はそんなつもりで喋っていないのに。カメラも被災地を悲しく映したい時は年寄りや子どもに向かうでしょう。

 お笑い芸人にもそういうところがあるから、理解はできるんです。悲しかったということを伝えたい時、本当は違うかもしれないけど「涙を浮かべてて」と話す。もちろん最終目的は「笑い」ですよ。大衆が一丸となって笑っているのは怖い時もあります。新聞だって、皆を一丸にして、時には政局を変える。そんな時、記者の人はどういう目で言葉と向き合うんですか。

野上:僕は直接的に動かそうと思って書いてはいけないと思っています。自分の理想はあるから「こうあるべきだ」とは思いますけど。以前、コラムにも書きましたが、書いた後、「届いてくれたらいいな」と祈るくらいの気持ちです。誰か人の意見を借り、言葉を使って書く記事も中にはあるでしょう。たとえばこの前の「THE MANZAI」の後、村本さんのところに相当取材のお願いがいったでしょう。

村本:こないだも、東京医大の裏口の取材が入ってきたけど、さすがにそれは話すことが何もない。医大でもないし、女子でもないし、中卒だし、どれも当てはまっていないので、それはお断りしたんですけど。

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なぜ村本さんに依頼が来るのか…