「配偶者」という言葉が教授の口から出たのはそのゼミでのことだ。妻、家内、女房。どれも男女平等以前の歴史を背負っている。「先生はどう呼んでいらっしゃるんですか」と、女性のゼミ生が尋ねた。答えは短かった。「私は『配偶者』です」

 なるほど、と思った。頭の中と行動がすんなりつながっているのが、いかにも教授らしい。それに一歩でも近づけたら。そう思った瞬間、自分も相手ができれば「配偶者」と呼ぶ、と決めた。

 言わずもがなだが、そう呼ばれる本人と出会うのはまだ10年近く先のことだ。

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 みっともない話は手短に済ませたい。

 きっかけは就職活動のため、ある日のゼミを欠席し、割り当てられていた発表をできなかったことだ。単位を取れるよう、教授からはリポート提出という救済策が示された。ところが私は、何も連絡しないまま卒業してしまった。

 さほど負担でもないのに、なぜそんなことをしたのか。当時の心境がまるで理解できない。それが「配偶者」という呼び名にほろ苦さが付きまとうゆえんだ。

 今年、ある先輩を通じて私が病床にあることを知った教授から丁寧な封書をいただいた。自分を覚えていて下さったことが驚きだった。私信ゆえ中身は明かせないが、先輩が渡した私のコラムへの感想がつづられていた。「毅然(きぜん)として生きねば」と、奮い立たされた。

 医師によると、今回の入院の原因となった動脈瘤(りゅう)は今後も生じうると言う。そこで命をつなげるかどうかは、体が発する痛みの兆候を無駄にせず、素早く反応できるかにかかっている。

 人付き合いをめぐる苦い思い出も、悔やむだけでは無駄遣いに等しい。自らを律することにつなげなくてはと、2週間近く前に身もだえた自宅のベッドに横になって考えた。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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