「怖くなかったのか?とか、辞めようと思わなかったのか?とか、今まで散々聞かれましたが、そんなふうに思ったことは一度もありません。なぜならこのビジネスはやり続ける以外に選択肢はない。絶対に成功させなければならないのだから、必要なら啖呵(たんか)も切る。もちろん、辞めるなんて考えられません」

 六次産業化に取り組むにあたり、慣例に背くことに難色を示す漁師たちや漁業協同組合(漁協)との衝突も幾度となく経験した。「小娘のくせに」「よそ者のくせに」と罵られても引き下がらず、少しずつ前へ前へと進んできた。その経緯は彼女の著書に記されている。「そのうち誰かがやってくれる」「誰かが変えてくれる」ではなく、まず自分が動かなければ他人は変えられないのだ、と坪内は語る。坪内が日頃から漁師たちによく話すのが、「ファーストペンギン」のエピソードだ。

「群れで生活をするペンギンは、仲間の誰かが海に入るまで動きません。でも、勇敢な最初の一羽が海に飛び込むと、次々に後に続く。私たちも変わりたい、変えたいと思うのであれば、最初に飛び込む勇気を持つことです。私みたいに何もない人間でも、飛び込めば世の中は動かせると信じています」

 山口県からおよそ650キロ離れた福井県で生まれ育った坪内は、戦後復興の時代に実業家として活躍した祖父を持つ。福井の名士で、ゆくゆくは国政へと期待されながら40代の若さで亡くなったという。坪内は言う。

「祖父が生きた時代と、地方創生が叫ばれる現代は、どこか似ているのかもしれません。祖父が見ていたように、私も地方から日本の未来が変わっていく景色を見たいんです」

 坪内は、地方を、そして日本の未来を良くしたいと願った祖父と同じ志を抱いて、未来を見据えている。

 荒くれ漁師をたばねるピンヒールをはいた若く美しい女性、というインパクトだけでは決して終わらない。いまや日本の一次産業を照らす光となっている坪内の、時代に消費されない前進力で、日本の未来の水平線が切り拓かれていく。