まず、題材選びについて。原則としてほとんどのものまねは有名人を題材にしている。誰もが知っている著名な人を真似た方が、多くの人に理解されやすいからだ。しかし、有名であればいいというものでもない。有名な人ほどほかのものまね芸人によってやり尽くされていて、差別化が難しいという場合もある。また、いわゆる「細かすぎて伝わらないものまね」のように、あえて知っている人が少ないマイナーな題材を取り上げることで、それを知っている少数の人を爆笑させられるのはもちろん、知らない人にも「元ネタは分からないけど何となく面白い」と思ってもらえる場合もある。必ずしもメジャーな題材を扱うのが正解であるとは限らないのだ。

 次に、切り口について。近年のものまねでは特にここがカギとなる。すでにやり尽くされている人物であっても、独特の切り口でそれを取り上げた場合、新鮮なものとして楽しんでもらえることもある。Mr.シャチホコによる和田アキ子のものまねはその典型である。和田の歌真似をする人は腐るほどいるが、バラエティ番組での立ち振舞を真似る人はいなかった。ありふれた食材からであっても、画期的な調理法を駆使することで極上の料理を作ることができるのだ。

 最後に、似せ具合について。ここが最も難しい部分である。本人に瓜二つという感じの似すぎているものまねは、人々に感嘆されることはあっても、かえって笑いにはつながりにくかったりする。似すぎていて笑えない、というのはよくあることなのだ。もちろん、笑いを目的としていない場合にはそれも間違いではない。

 たとえ似ていなくても、そのまま押し切ってしまう強引さがかえって面白い、という場合もある。例えば、プロレスラーやアスリートのものまねを得意とする神奈月のレパートリーの中には、正直あまり似ていないものも多く含まれているのだが、どのネタも爆笑を巻き起こす破壊力を秘めている。「似ている」という結果ではなく、「強引に似せようとしている」という過程の部分に生じる「人間味」のようなものが、笑いを引き起こす原動力になっているようだ。

 似ていればいいというものではないが、似ていなくても仕方がない。ものまねとは単純なようで底が知れない奥深い芸なのだ。(ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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