「スギ(杉内)は、きょうの試合を見ていると言ってくれたんです。だから、いいボールを見せられたらいいなと」

 巨人・杉内俊哉からは引退会見の前に電話があった。

「あと5年、頑張って」

 そのエールを送られた同級生は、股関節の手術から3年。1軍登板を果たせず、松坂大輔に一度も勝てないまま、ユニホームを脱ぐ決心をした、プロ通算142勝の左腕との出会いは、20年前の夏。鹿児島実のエースとして1回戦の八戸工大一高戦でノーヒットノーランを果たした杉内と2回戦で対決した松坂は、投げては完封勝利、4番打者としても8回、ダメ押しの2ランを放つなど投打で圧倒した。それでも松坂は「最高のライバルという意識を持っている」。

 巨人を退団後、今年は独立リーグのBCL栃木でプレー、NPBのオファーを待ち続けた村田修一も、現役引退を決めた。村田も20年前の春、3回戦で東福岡のエースとして松坂と甲子園で対戦するも敗れた。2安打完封負けを喫し、13三振を奪われた剛腕を見て、村田は「こいつには勝てない」と投手を断念、日大進学後は打者に専念し、そこから日本を代表する存在にまで駆け上がった。あと135本に迫った2000安打を前にしての決断に、松坂は「やめないでほしい」。

 後藤武敏は横浜高、法大を経て、松坂がプレーする西武に入団。まさしく苦楽をともにした同級生だ。松坂が中日へ入団した今季、同じセ・リーグのDeNAにいた後藤は「何としても対戦したい」と、その対決実現をモチベーションにしてきた。しかし、それも叶わない。後藤から、決意の電話を受けた松坂は「聞きたくなかった」。

 志半ばの同級生たちが9月に入り、相次いで現役引退を表明した。その寂しさは隠せない。しかし、あいつらの気持ちを背負いながら、俺はまだマウンドに立ち続ける。そのライバルたちと出会った「甲子園」という舞台から、その決意を発信しようと、松坂が投じた95球、最速144キロもマークし「ここのところ、ストレートがよくなかったのにここに来て、スピードも出るようになってきた。甲子園が力をくれたのかなと」。

 5回1失点で今季6勝目。不屈の闘志でマウンドに立ち続ける38歳に、いよいよ「カムバック賞」の声も聞こえてきた。「松坂世代」とくくられる同級生たちが、グラウンドを一人、また一人と去っていく。しかし、世代の先頭を走ってきた男は、その背中を常に見せ続けている。それが「平成の怪物」と呼ばれた男のプライドでもある。思いを託された分だけ、松坂はまた強くなっていく。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。